投稿日: Jan 30, 2016 1:38:41 AM
我々のような黒人でない者が、アメリカ黒人音楽にどっぷりと浸ることができるのかどうか、ということは昔から気になっていたことである。日本の戦後には進駐軍によって「ジャズ」という音楽が輸入され、同時にジルバという踊りも入ってきた。ジルバは日本語で源は jitterbug と総称されるダンスで、一般には冒頭の写真のような lindy hop といわれて、今でもダンスコンテストが続いている。戦争直後それらに熱狂した一部の日本の若者の話は伝説のように伝わったが、この種のホットなダンスも音楽も市民権を得なかった。日本でもJazzはそれなりに普及してコアなファンは生まれたものの、多くはpopsとして派生していった。
アメリカ軍の駐留によってアメリカ黒人音楽が浸透したことはイギリスも同じである。Beatlesの登場以前のイギリスは、Jazzを受け継いでJumpBluesをするグループが若干は居たものの、多くは日本と同じようにJazzはpopsとして派生していった。これらと別にロカビリーとかFolkブームとかFolkBluesブームという傾向もあった。
Beatles達というのは、以上のイギリス音楽シーンとは別に、彼らの同時代音楽としてのアメリカのR&Bをレパートリーにしていった若者であった。特にR&Bに強く比重を置いたのが Rolling Stones と言える。彼らはアメリカで発売されて半年くらいの新しいR&Bでもカバー曲を吹き込んでいた。
この1960年代初頭ではアメリカのR&BチャートのところどころにまだBluesがあったので、当然R&B狂のイギリス若者はBluesも自分達のレパートリーに加えていった。いわゆるChessのシカゴBluesのようなものは、イギリスの普通のレコードショップで売られるようになっていた。(当然アメリカでも入手容易であったが、それ以上にイギリス盤は若者に身近なものだった)。ところが日本ではそういうR&Bの何分の1しか国内盤としては発売されなかった。日本ではアメリカ黒人の同時代音楽に触れる機会はFENしかなかった。
つまりリバプールサウンドのような初期のブリティッシュロックは、当時プレスリーなどのロカビリーをコピーしていたバンドが変質してR&Bのレパートリーをどんどん取り入れたところが多い。ある意味ではロックの先祖返りのようなものだが、古い Jump Blues に戻るのではなく、彼らの同時代R&Bに接近した点が面白い。
ロカビリーは当時は衰退期にあったが、そもそもは1950年代中ごろに黒人のDown Home BluesやJump Blues など、やはり彼らの同時代黒人音楽を取り入れたものであった。
私はあまり聞かないが、今でもHipHopが若者に影響を与えているのを見ると、同時代の若者の振る舞いというのは異なる文化のヨコ糸になっているのだなと思う。
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