投稿日: Mar 07, 2014 1:28:5 AM
流されていく日本人(2)
今年はキリスト教歴としては4月20日がイースターにあたる。日本ではいまひとつ認知されていないが、欧米などキリスト教国ではクリスマスと並ぶ大行事で、小さい子供にとっては卵さがしの日でもある。EasterEggHuntというのは比喩的にも使われ、ソフトウェアを作る際もどこかに何かを隠しておくようなイタズラとか遊び心につながっている。バイナリコードの中に意味不明なものがあったら、プログラマが自分の趣味で仕込んだものかもしれない。
私は日曜学校で小学校低学年に以下の子供の世話をしているので、今年のイースターのイベントを仕込み始めている。こういう行事はまだ義務教育もない時代からあって、年中行事は人の成長に伴って社会人としての意識を形成するための一つの要素であったはずだ。
私自身はキリスト教の行事は知らずに育ったが、自分の子育てを通じて人を養育する環境は幼児の時からいろいろなものがあるのだなということを感じ、自分の子供に何が必要かを考えて日曜学校に連れて行ったのが始まりである。そこには日本の子育て環境には欠けてしまったものが残っていた。
幼児の養育環境というのは、おそらく大昔から、①昔話 ②遊び ③行事 であっただろう。日本の核家族化はこれらを金で買って揃えるものにしていった。絵本とか遊戯施設とか保育園幼稚園などである。そしてそれらを子供に馴染ませる理由を、受験競争の前倒し的な早期教育にしていった。韓国も中国もその後を追っていると思える。
キリスト教の日曜学校は営利目的ではなく、カリキュラムもがっちりしたものがあるわけではなく、教師に資格が必要なわけでもなく、聖書に基づく以外の何の決まりもない、勝手なもので、しかも1週間に1回しかないのだが、これに関わることで受験目的の早期教育との差に気付いた。
親から子育てを放棄されたような子供は、なかなか学校などには馴染めなくなってしまうものだが、最初は寂しさからか日曜学校に来出して、思春期になると若干放蕩するものの、社会人として自立していく例をいくつも見てきた。当然学力のベースはできていないので社会に出る時に苦労はするのだが、目的を持てば頑張ってなんとかなるものだなあと思った。
一方で早期教育型の秀才の方が社会に出るときに折れやすい。その修復には義務教育よりも長い時間がかかり、早期教育にかけたコストは、本人にとってはマイナスになっていることがわかる。いわゆる親の犠牲である。そういう若者はずいぶん増えてしまったように思える。
日本には日本なりに養育環境としての ①昔話 ②遊び ③行事 はあったはずだが、明治維新以来はそういったものも富国強兵の下地にされ、養育環境は天皇を神とした国家統制の道具にされていった。昔からの因習や国家統制の束縛から逃れようとして、第2次大戦後は記事『流されていく日本人(1)』で書いた個人の自由選択・自己責任の世界に切り替えていった。
しかし今また自民党が「教育改革」や改憲や徴兵制の検討を始める時代になってしまった。時代を逆戻しにすることは何の解決にもならないはずで、商業主義や国家統制とは次元の異なる、もっと人間の本質をみた議論を始めなければ、大変ヤバいなあと思い始めている。