投稿日: Jul 21, 2015 11:22:6 PM
B. B. Kingが亡くなったことを記事『BBキングは黒人からどう親しまれたか』に書いたが、我々非黒人にとってBluesの話題はミュージシャンの死亡を通じて伝わっているともいえる。アメリカのBlues雑誌の代表のLiving Bluesが1970年に創刊されたのは私が大学生の頃だが、創刊号でのっけからMagic Samの死、Earl Hookerの死といった、比較的若い脂の乗り切っているはずのミュージシャンの死がトップ記事であった。これはBluesが過去の音楽であるかのように思わせるものであった。
ヨーロッパではBlues雑誌が先行して出されていたが、そこでは1930年代など戦前のBlues黄金期の記事が多く、やはり誰はいつ死んだとか、どんな死に方だったなどが書かれていた。つまりBluesに関する情報のかなりの部分はかつて素晴らしいレコードを残したBlues Manの消息であった。たまたま生きて再発見されると、スタジオに引っ張り込んでLP制作をさせていた。こういうレコードが1970年代のBlues音楽の主流になっていたと思う。
Living Blues 誌では、文字通り現在活躍しているミュージシャンを採りあげているのだが、やはり大物が次々に死に、どこかのクラブでライブをしているあまり有名でないミュージシャンを見つけてはスタジオに連れ込んで、毎度おなじみのBluesナンバーを録音してLPを出していた。これら白人がスタジオに連れ込んで吹き込んだレコードは、当時は音楽市場を賑わしたものの、定番化して息長く販売されるようにはならないものが殆どであった。それは今日ではCDとして録音されるBluesにも通じている。
そのように見てくると、Bluesの録音は盛り上がりを欠いていくように思えたのだが、白人の若者が注目していなかったJump Bluesのベテランは意外に元気で現役の録音を続けている例がいろいろあった。1950年代に活躍したNappy Brown、H-Bomb Ferguson、Piney Brown、Joe Burrell、Sax Kariとか、南部ではZuZu Ballin、Big Walter Price、西海岸ではRoy Milton、Roy Brownなどが1970年頃以降でもよい録音を残していた。
これらの人たちは白人が好きなシカゴブルースとはちょっと嗜好が異なるのだが、逆に元気な彼らのライブに触れることで、1950年代に録音されたJump Bluesへの関心も高まったかと思う。
つまり現役のライブを聞けるアメリカならではのことなのだが、強引なスタジオ録音で作られたレコードよりもライブの方がちゃんとBluesを継承していたうことが明らかになった。しかしそういう1950年代の方が居なくなるのも時間の問題である。でも心配する必要はない。やはりアメリカのどこかではBluesはいまだに歌い継がれているのであり、レコード会社が相手にしないだけなので、CDや既存音楽産業などとは別の音楽伝達手段を作ることが課題になっていると思う。
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