投稿日: Mar 16, 2011 1:27:57 AM
私がかつて名古屋に居たときに伊勢湾台風があって、一晩に5000人近くの方がなくなった。また実家や親戚のある阪神間では阪神大震災があって、やはり5000人ほどがなくなった。今回の東北関東大震災は両方が合わさったような災害であるし、さらに原発事故というものも伴ってしまった。伊勢湾台風は大規模河川の決壊で一挙に町や村が流された点では、津波災害に似たところがあって、とても人が手を打つことはできなかった。
阪神大震災は河川は関係無かったが、道路が寸断されてしまって、近隣からの援助をしようにもできなかった。道路が通じてから、実家の被害は軽微だったので西宮の親戚を一時呼び寄せて休んでもらった。現地で一番不便なのはガスの復旧が進まず風呂に入れないことだった。実家は兵庫県とは河川一本挟んだ大阪側で、この河の両岸で被害状況は大きく異なった。被災地から最も近い避難地が最も頼りになる。部外者からそこに援助がスムースに流れるようにするべきなのだろう。
伊勢湾台風の時は小学生だったが、被災地の子供は他の地域に疎開して学校に通った。私のいた小学校にもクラスで1~2人が半年間くらい転校生として来ていて、一緒に勉強し一緒に遊んでいた。一人は孤児になっていたと思う。生き残った親たちが地元の復旧をする間は、学童疎開はよい方法だと思う。また疎開の子供たちを通じて、受け入れ側もどんな状況になっていたのかを知ることができた。
今は避難地への物資を運ぶにもガソリンがないとか、道路もまだ寸断されているところがある。こういった点は国が率先して手だてをしているが、その先は民間での協力体制が重要になるだろう。実家の母も一人暮らしだったので復旧が一段落してからも時々恐怖心のぶり返しがあった。今避難地で避難者たちが生活に必要なことを共同作業をしているところは精神的にも支えられているようで、被災者個人を孤立させないことが重要だろう。親類縁者がなくなってしまったような方は、民間で受け入れが必要だろう。