投稿日: Aug 18, 2010 12:25:8 AM
商社がネットビジネスを開発し難いのはなぜかと思う方へ
ネットでのビジネス開発は、どうしても今までのマスメディアの隙間を突くような方向に目がいきがちである。日本ではリクルートが小ビジネスでも広告が出せる様々な情報誌を開拓し、それまで新聞に載っていた案内広告(三行広告)を乗っ取って発展させて行った。アメリカではそのような規模の大きい情報誌は出なかったので、近年まで地域の新聞がその分野のロングテール広告を担っていた。アメリカの新聞は日曜版だけの販売もあり、ちょっとした都市なら100~200ページの案内広告が載っていたこともある。そこで市民生活のすべてが見えるといっても過言で無いほどだった。そのほとんどがモノの売買ではあるが、例えば犬が子を産んだのでもらってほしい、などから日本では大っぴらには無いが、交際相手を求むというのもたくさんあった。
結局後にネットでブレイクしたeBayやクレイグズリストでも、ソーシャルメディアでも、クーポンでも、元のモデルはそういった地域新聞にあった。当然ながら紙の新聞は情報が一方通行であるとか、掲載までのタイムラグなどから、ネットの方が便利なのだが、それだけではない。おそらく成功したモデルはそれ以上のものがあったはずである。今日本では上記のようなアメリカの過去の実体と実態は分かり難いので、ソーシャルもクーポンもモデルそのものに目が行き過ぎているきらいがある。そうした聞きかじりで日本で真似ようとすると、モデルの表層しか分からないので、それに何らかの付加価値部分を技術で足してビジネスモデル化して膨らましてしまうおそれもある。
twitterがまずいと思うのは、意外に専門情報が伝わらず大衆的なセンチメントに押し流されることで、twitter上の反応を「評価」と勘違いしてしまう危険が広まっている。今おこり出しているいろいろなスタートアップ・ベンチャーも、そういったセンチメントに左右されない方が、事業の足場を固めやすいであろう。成功したモデルは少なくとも過去のモデルの表層を受け継いだだけではなく、ネット上で進化させた何かがあるので、そこで何が変わったのかを知ることの方がtwitter上の評判よりも重要である。事業開発者にとっては、ある分野において、ネットを使えば既存モデルよりも素晴らしいものになる、ということがピンとこなければ、スタートアップ・ベンチャーをする意味は無い。
元々新聞の案内広告は実名で実電話番号を出していた。それがネットの時代になって、個人情報云々が叫ばれて、実名を出さない傾向が広まった。しかしFacebookのような実コミュニティから出発したSNSは実名主義で通して、それは結局広がったのはナゼなのか。それはコミュニティ・ソサエティというのは、先にどこかに存在するものではなく、人々が集おうという指向をもってコンタクトを続けるから成立するものだからだ。つまり参画する人々の意欲を引き出すようなソーシャルメディアにすることに意味があったのだろう。ただし技術的に何かの機能をつければ意欲を引き出すツールになる、というものではなく、事業の哲学としてソーシャルに合致するものをもった開発者が有利になると考えた方がいい。
ECモールも最初は商社が参入したが、大きくはできなかった。ネットがフロンティアである理由は、資産ベースのビジネスではなく、ピンとくる哲学があるかどうか、が大きいからだろう。