投稿日: Feb 10, 2014 12:25:8 AM
なんでもやってみることが重要
過去に東アジアに関連した仕事がいくつかあって、印刷でもDTPでも電子書籍でも現地から日本に留学に来た経験のある方が介在していた。その方々は在日経験を通じて日本と関係したビジネスをしたいと考えて、学生時代に日本語が読めたりしゃべれるようになり、多くは一度日本の会社に就職し、母国に戻って会社を設立したり、あるいは新ビジネスの部署を任されていた。
前職では、タイ、パキスタン、スリランカ、インドネシア、中国、韓国の紙メディア関係者との人的な交流があって、主に印刷関係の教育で行き来していたが、前世紀ではまだビジネスになるようなものではなかった。ところが21世紀に入ってからはコンテンツのデジタル化とともに、お互いに新ビジネスの可能性が出てきた。そこで何とかお互いにデジタルメディアに関して共通の目標を掲げて取り組めないかと模索していたが、前の組織ではそれができなかった。
その後の動向として、デジタルでマルチリガルを扱ういくつかのプロジェクト案があったのだが、冒頭のような日本留学経験者がいる場合には非常に話が進みやすく、お互いに理解しあえるものであると思った。それでも国情の違いはいろいろあって、2か国にまたがるプロジェクトは難しいのだが、欧米とのジョイントのプロジェクトよりももっと親近感を感じる仕事ができそうに思った。つまり大企業でなくても、結構ゲリラ的にもプロジェクトが進められそうな要素がある。だから最初からビッグビジネスを狙いよりも、ニッチ的な、あるいは趣味的なプロジェクトでいいように思う。
クールジャパン戦略のことは、記事『クールジャパンの評価と収支』に書いたが、これを短絡的に輸出振興と考えるのではなく、世界に日本ファンを作りたいのならば、彼らが日本ファンであることで可能となるようなビジネスのタネを日本の側から撒くことが必要で、現地のそういったビジネスを支援する形でクールジャパンは広がるものであると思う。
それは今の日本がアメリカ指向になったのは、戦後にアメリカを好きになってアメリカに憧れを持ったような人が日本国内でビジネスの努力を積み重ねたからであって、アメリカが日本にライフスタイルを輸出しようと努力したから日本が受け入れたのでないことを考えればわかる。
戦後の日本とアメリカの生活の落差は非常に大きく、アメリカのものを日本に輸出しても日本は受け入れられなかった。私の祖父は新しいもの好きでアメリカの洗濯機や冷蔵庫やクーラーを買っていたが、それらは日本では殆ど売れずに、日本の家電メーカーが日本人の生活様式に合わせて開発したものがブームとなった。
おそらくコンテンツも日本のままで売れるものは限られるはずだし、翻訳や権利処理など売る段階に至る前に大きなハードルがあり、まずはかなりインチキかもしれないが「日本風」の味付けがされた現地のコンテンツがブームにならなければ始まらないと思う。その後に本物志向の日本ブームがあり得ると思う。
長い目で、寛容な心をもってかからないと、文化事業というものは進まないだろう。