投稿日: Mar 09, 2012 1:15:21 AM
抜本的な手が打ちにくいと思う方へ
日本の国の経済バランスが崩れた大きな原因のひとつが高齢化で、若くて働ける人の需要が減って経済が下がる割には、高齢者向けの公的な支出だけが増えているからだ。若者が職が無くて月20万円くらいの不安定な職についている一方で、何もしない老人が国民年金や企業年金とか恩給でそれ以上の収入を得ているとなると、モラル的にも若者にとってよいことではなく、老人が若者に文句をいっても聞くはずが無い。年金なんか払うのをやめてしまえと思う若者もいるだろうが、有権者が高齢化しているのでタダでさえ投票率の低い若者の意見は民主主義のルール上は表出しにくい。
ビジネスとしてはシニア向け商品とか介護ビジネスが伸びるということで群がる会社が増えているが、その人たちが必ずしも上記のような社会の問題に向き合っているわけでもなく、帳簿上の試算でビジネスをしているに過ぎないのは、結構足元の危ない組織運営をしていることからもわかる。つまり老人と若者の意識のギャップを乗り越えていくような事業ビジョンは無い場合が多く、事業の題目と実態が食い違うことにもなりかねない。これらのビジネスをする理由としては、やはり日本はどのような社会を目指すべきかという議論は避けられない。
高齢化は過渡的な現象で団塊世代が死に絶えれば人口構成のアンバランスの凹凸は納まっていく。その間のアンバランスを上手に切り抜ける方法というのと、その先のバランスのとれた社会の2つの面での議論が必要である。高齢化対応を上手に切り抜けるという点では、高齢者が若かった時の常識を復活させることがコツであり、現代の常識からすると例外的な扱いも行なわなければならないだろう。例えば個人情報保護などは近年言われたことで、昔は人々は情報が筒抜けでお互いにおせっかいなことを平然としていた。それでもめることもあったが、互助的なことも成り立っていた。今コンプライアンスをあまりにも堅く考えて、プライバシーの言い過ぎをすると孤独死が増えてしまう。法律や制度の柔軟な適応の問題である。
しかし物事を複雑にしてはならない。社会の意思決定も高齢化しているので、事なかれ主義が増えて、あまり制度を変えたくないとか変革する意欲が無いという面もあろう。一方で若者に社会を任せるのはリスクもある。それはベンチャー企業の危うさと同じで、思い切った考え方をするにしても考察が不足で紙の本はいらないといってみたり、ビジネスでも初歩的な失敗をしてしまうことがある。こういう老害と若者の極論の両方がある現実というのが老人と若者の意識のギャップなので、事業のビジョンを作る際には両者と同じ次元で話し合うのではなく、超越した考えを持たなければならない。それと現実的にはいろんな選択肢を用意することがギャップを埋めることになるだろう。定年や年金支給開始に関してもそういう多様性は感じられる。
通信料金設定は多様なプランが提供されるようになったが、コンピュータが処理しているのでおそらく人では増えていないのだろう。公的サービスを多様化する場合にも人手を増やさないでできるソリューションを考えるべきである。いやむしろいまやっていることも人手を減らすソリューションを積極的に導入して、余った人手を不足しているサービスに向けるべきだ。書籍流通でも委託販売と買取制をどちらかにするかというよりも、卸価格設定と連動して書店が選択できるようにすれば、返本を減らす方向にコントロールできるだろう。今までの制度を完全に壊すのではなく、上手な方法を増やしていくことで保守と改革のギャップを減らすというのが当面の方策だろう。