投稿日: May 22, 2011 11:8:5 PM
日本のベンチャーはいつも振り出しに戻ると思う方へ
facebookは突然変異のように出現したのではなく、パソコン通信時代からのいろいろなサービスの統合的なものに発展してきたことを、記事『古くて新しいソーシャルメディア』で書いたことがある。また情報機器というのも進化してきた。ASCIIが古くからnoteパソコンの夢のようなポンチ図を描いていたが、いまやそれは子供にも行き渡る時代となった。その間にいろんな開発やビジネスがあったわけだが、経営という面ではITのインフラ以外は以前に考えられていたような企業成長は無かったことを、日本の投資家はどう考えるのだろうか? アメリカと同じように短期のリターンだけで投資をしているのだろうか?
日本がIT分野でもモノ造り力を発揮して新製品を開発し、世界に供給していた時代をなつかしむとか、「モノ造りよもう一度」とか、匠とかの掛け声は、否定はしないし個人的にはそういう志向もあるものの、アメリカのITが次々と成功企業を生み出していることをもっと分析して、経営として成り立っていくようにしないと、モノ造りの掛け声は竹槍でB29に対抗しようというような虚しい精神論になってしまう。
特に情報メディアをめぐるビジネス機会というのは既存のメディア企業の考えるべきことだけではなく、新興のメディアビジネスをたくさん興してしるし、またメディアで稼ぐわけではない一般の企業にとっても重要なものになりつつある。言い方を変えると日本の産業にとっては、製造業体質からサービス業体質に自己変革するに際して最も重要な要素がメディアとコミュニケーションであるともいえる。それは冒頭のfacebookは成長するのに装置のビジネスは思ったほど成長しないということと関係している。
下図の左は、例えば携帯電話が数々の機能を追加してきたとはいっても、製品としては2~3年毎に買い換えてきたことを思い浮かべてもらえばよい。製品には寿命があり新陳代謝する。またデジタルカメラの性能が上がれば、スキャナが衰退するという製品間の競合もある。いずれにせよ何年か先には新たな製品を投入しなければならず、売れる数とは関係なく開発コストはいつまでもかかってしまう。
下図の右は、パソコン通信からSNSに至るまでのサービスの展開やそこでの経済を思い浮かべてもらうとよい。デバイスがパソコンからケータイやスマホなど増えるにしたがって、新たなサービスも増えるが、メールやWebのような以前からのサービスも使われている。利用者側からすると過去の習熟は無駄にはならず、さらに新たな習熟を重ねると利用価値が増えていくことになる。ソフト化・サービス化というのはこのような学習型の発展をすることで、大きなビジネスになることができる。そして今どんなビジネスにおいてもデジタルメディアが自由に使えるようになったことが、ソフト化・サービス化を促進するだろう。
ケータイ電話でHD映像が撮れて、しかも編集までできる機種とか、デジタルビデオやデジカメにいろんな機能を盛り込むとかすることがある。ガラケーも機能追加を随分行ってきたが、それらは本当に使ってもらえているのだろうか? 図左のように製品寿命が尽きるときには無意味になる利用ソフトを営々と作っていても報われないことがわからないのだろうか? 物理的な製品に寿命があることは仕方が無いが、その製品の活用をしてもらうためのソフトやサービスは、図右のような学習型の発展をするように考えるべきではないか。これはいろいろな業種に当てはまることだと思う。