投稿日: Aug 16, 2013 12:9:30 AM
本当に変化は求められているのか?
タイタニックジョークといわれる国民性・民族性を表した喩えがWikipediaにも載っている。
----------------------
様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。 それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、どのように声をかければいいか?
・ロシア人には、海の方をさして「あっちにウォッカが流れていきました」と伝える。
・イタリア人には、「海で美女が泳いでます」と伝える。
・フランス人には、「決して海には飛び込まないで下さい」と伝える。
・イギリス人には、「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」と伝える。
・ドイツ人には、「規則ですので飛び込んでください」と伝える。
・アメリカ人には、「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」と伝える。
・中国人には、「おいしい食材が泳いでますよ」と伝える。
・日本人には、「みなさん飛び込んでますよ」と伝える。
・韓国人には、「日本人はもう飛び込んでますよ」と伝える。
----------------------
確かにこんな傾向はあるだろうなと思う。特に仏英独米日は結構あたっている。フランスのヘソ曲がりなところは文化的にも大きな貢献をしている。明治維新の後で欧米でジャポニズムという風潮が起こるが、発端はフランスのパリであった。アフリカの原始彫刻を評価したのもフランスだった。アメリカの黒人音楽をいちはやく着目したのもフランスで、要するに既成の価値観の枠をはみ出たことを率先して行うのがフランス人気質なのかもしれない。
そうすると、cool Japan とやらも、フランスで受けたから他の国にも宣伝しようと思っても、思うようにはいかないかもしれない。事実アメリカはギークになるために日本のサブキャラを熱心に探る人は居ても、大衆的には必ずしも日本のサブカルを受け入れては居ない。
フランスは日本にとっても西欧文化の中心地となった。明治の文化人がフランスに留学したりフランスのニュースが日本で多く流れるほど、日本人にとってはみんなが注目しているフランスに関心が集中したのだろう。ところが上記のことを考えると日本人気質はヘソ曲がりなフランス人気質と真逆なことになる。現にフランスではおびただしく発売されているアメリカの黒人音楽の多様なCDが日本では全然売れない。何しろこの種の黒人音楽のアーカイブの質量ともにフランスが一番なのである。
コンテンツの嗜好という点で考えると、よくネット・デジタルではパーソナライズという個人の嗜好に合わせたお勧めや販売をすることが企画されるが、それはフランスのような多様なコンテンツが商品化されていて、しかも個人にはっきりとした嗜好がありそうなところでは有効な販促になるだろう。しかし、日本人は他人とは違うヘソ曲がりな嗜好がなく、従ってコンテンツの品揃えも少なく、結局は人気ランキングの品揃えをするのが最も儲かり、どの店も同じようになってしまう。
これはコンテンツだけでなくメディアビジネスも同様で、皆が見ている大新聞を購読して安心している国民は先進国では日本くらいであって、他国は新聞といえば数十万の部数で、地域とか編集方針で何かにフォーカスして情報提供をしている。だからアメリカで数十万部の新聞が斜陽とはいっても、日本の数百万部出ている大新聞にそのまま当てはめることはできない。HuffPostのようにコメントを重視したネット新聞も日本ではそのままは受け入れられないだろう。地上波のキー局を主体としたテレビというのも同様のもので、日本人はスマートTVで多様なコンテンツを楽しみたいと思っているわけではないだろう。
しかし、だからといってネット・デジタルのトレンドは日本に無関係だと言うのではなく、欧米のようなブレイクは期待せずに地道にやるべきだと言いたい。つまりどこかで資金調達しても新しいメディアが成果を出すのには時間がかかりすぎて、ベンチャーというカタチでは挫折してしまいがちだ。ベンチャーの内容が欧米の二番煎じではベンチャーと呼ぶのがどうかとも思うが、それらが成功し難いのも前述のような状況だからだろう。
日本人は自戒を込めて「みなさん飛び込んでますよ」という声には従わず、手弁当で腰を据えてデジタルのビジネスに取り組む必要があるだろう。LINEなどの拡大を見るとネットは急成長できるビジネスチャンスがいっぱいあるように思うかもしれないが、むしろWikipediaやSNSの如く、サービスや運用に昔のように金をかけないでも出来ることを増やしていく中で、日本にも文化多様性が徐々に増えることを重要視した方がよい。