投稿日: Mar 14, 2013 2:9:6 AM
あたりまえのことが起こっていると思う方へ
卒業シーズンに入ったが、社会に出てサラリーマンとして長期安定雇用される人の年収や生涯収入と、正社員になれない人の収入の格差が広がっていきつつあるという。これは統計的に正しくても、認識としては根本的におかしいところがある。個人の視点では学歴と収入の関係に関して、社会の視点では役割と収入の関係に関してである。今の日本は国民の半数が大学に行くようになった。だから当然ながら大卒は一部エリートでもなんでもなく、ワーカーも大学に行っていることになる。今や大学生が泥棒や犯罪をしたといって騒がれたりしないが、かつてはニュースになったものである。それが今はドロボーも大学に行くようになったと考えた方が良い。これは大学側が教養面を求めなくなったことでもある。ドロボーにITを教えればネットセキュリティはいたちごっこになる。
そもそも学問は収入を得るためにするものではないので、学歴と収入は一方通行の関係にある。つまり収入の多い家の子は学歴が高くなるが、高学歴はその人の稼ぐ額には影響しない。ヨーロッパの金持ち・貴族の子弟は高学歴でも稼いでいない人はいっぱいいる。オープンソースの開発やフリーウェアから、果てはシーシェパードとかグリーンピースなども含めて社会活動をすることが納税の軽減になるので、それらに一生懸命になっている。しかし若い間にこれらの経験をしているうちに、何らかの実力を得てしまって起業するとか、企業経営に入る人もいる。このやりかたは稼がなかった人の中から稼げる人を輩出すると言う点で一定の歩留まりはあるようだ。
アメリカも一部の金持ちはノブリス・オブリッジなのだろうが、ヨーロッパに比べるとさもしい人の集まりで、借金してまで大学に行くものの、仕事がないということはある。アメリカンドリームに釣られているとしか思えない。日本もこのプチ版で後追いをしていたと思う。さらに日本の特質として、良い大学に入って良い会社に入ることを目指すのが当然のことのように言われるのは、官への宮仕えを企業にも当てはめたジャパニーズドリームがあることだ。
しかしこれはあくまで大学進学率が低く、幹部要員をそこから採らざるを得なかった時代のモデルであるが、実は昔も今も幹部要員は僅かしか居ないという点では、旧帝大を含め大学全体の5%の数十校の大学に限定されることは変わっていない。だから残りの95%はジャパニーズドリームに浸りがちだ。高度経済成長期のようなドサクサな時代はともかく、今では記事『大学卒はどこへ行く』で書いたような知的単純労働はIT化によってどんどん縮小していくので、行き場を失いつつあるのが格差の実態である。
格差は大学進学率が低かった時代からあって、それと同じような状態になりつつあると考えられる。しかし親も学生本人も、他人と自分を比較して「同じ教育を受けたのに、なぜ?」と考えるようになったのだろう。それは見かけ上は同じ卒業生であっても、仕事を作り出す人と、仕事をさせられる人とは、決定的に違うからである。メディアに採り上げられる欝の人のことなどを見ていると、大抵が仕事をさせられている人である。その仕事が自分にふさわしくないなら職場を変わるべきなのだが、そこに留まっている理由は「同じ教育を受けた」ことを根拠にして、企業側に問題があると考えがちにみえる。人が従事するべきは、自分がその仕事を前進させられるような仕事であって、それは事務職や営業職でなくてもいろいろあるはずだ。この格差感を感じている層は、手に職をつけて働く人のことをどう考えるのだろうか?
社会には教育水準に応じて支払うという原則はないわけで、あくまでも受け持つ役割と成果に応じて配分することになるのだが、それを承服するのをジャパニーズドリームが邪魔しているようにみえる。この頑なさというのはプライドとか教養不足から来るのだろう。