投稿日: Jan 31, 2013 12:54:11 AM
パーソナルなメディアに課金は難しいと思う方へ
ゲームのデジタル化はアーケードの専用機に始まり、パソコン、ファミコン、モバイルゲーム機、ケータイ、スマホと、ガジェットやハードウェアを超えてどんどんビジネス展開がされてきた。楽しめる、のめり込める、というのはそれぞれのハードウェアの制約があっても、それなりに設計が可能なのだろう。タマゴッチやケータイなどのプリミティブさがあってもエンタメ性を損なわないようなところも特徴である。
文字情報というのも必ずしも表現技術が求められるものではなく、メール、チャット、SNSなどプレーンテキストでも十分役割を果たしているものがある。つまりテクノロジーやデバイス以前の能力で勝負が決まる分野はメディア・コンテンツのビジネスには結構ある。
しかし電子新聞や電子書籍はそのようなコンテンツありきのストレートなビジネスにはなっていないようだ。
固定電話というのは世帯に1つ設置・契約というものだったのが、ケータイ以降はパーソナルな契約・利用になったがために、電話会社にとっては市場が何倍増した。このデバイスの広がりをベースに上記のゲームやケータイ小説、SNSはブレイクした。しかし日刊新聞は世帯財なので家単位で購読し、回し読みをすることを前提としている。これはデジタル新聞にする時に困る。紙の新聞の価格を基準にデジタルの購読料を割安に設定しても、ひとりしか見ないデジタル版がその価格に見合う価値があるかどうか、なかなか判断できない。
メディアが世帯財からパーソナル化していくことについては、記事『メディアのコモディティ化』で書いたことがあるが、メディア利用はパーソナル需要に軸足が移ってくるので、新聞、固定電話だけでなく、NHK・CATV視聴料など、家計支出で賄われていたビジネスが解体・再構築を迫られている。実は紙の本も共有財としての面をもち、特に事典や大きい辞書とか美術書などは世帯財であったし、雑誌などは家の中で親子兄弟で回し読みをするとか、家にある本を友達と貸し借りするとかされてきた。これは支出としては家計からであるが、利用目的は情報共有のようなコミュニケーションにあった。その情報共有に要する期間は、例えば子供の成長の期間を通じて、など非常に長期に及んだ。
だから従来は世帯財であった情報をバラバラに分解して、その時に必要な部分だけを簡単にデジタルでやりとりできたとしても、共有財としての情報資産が家族に及ぼした機能がカバーできるとは思えないのである。だからWikiediaがいくら便利でも、それはパーソナルで断片的な利用面に留まり、あえて家計から支出するような電子百科事典のようなビジネスにはならない。何度も例に出すCookPadなどは主婦が使うという点ではパーソナルに見えても、食事は家計だから、課金も容易になるのではないだろうか。
スマートTVというのがどのように定義されるのかはよく知らないが、茶の間TVなら世帯財としての価値が感じられるもの、コンテンツの側から考えるとパーソナルな利用価値が重要というように、このスマートTVも位置づけが難しいように思われる。もし放送業界に非常に聡明な人が居たならば、世帯財であると同時にパーソナルな価値も得られるような、両世界のブリッジになるものを考え出すのかもしれない。