投稿日: Sep 15, 2011 10:21:29 PM
日本の社会が柔軟にはなっていないと思う方へ
自分の仕事としてはあまり熱心にはしていなかったことだが、自分は研修とかセミナーにはあまり向いていなかった。研修とかセミナーを事業として行うには、一度開発すると何度も繰り返して開催できるので収益性はよい。またテキスト・資料が整備されると講師も依頼しやすくなり、同じ内容を大規模に展開できる。DTPの普及期は全国同時並行でセミナーが行われた。これらの資料作成作業などは行ったが、自分は同じ話を繰り返すのは苦手で、むしろ新らしい話題が得られる勉強会・研究会・懇談会をもっぱら行っていた。雑誌の原稿というものも、なるべく締め切りの頃に一気に書いて手を離す。そうしないで早めに用意すると後で気が変わって内容を追加変更したくなるからだ。原稿が印刷物になる頃には、もう改定したくなっている。
若い頃は自分なりの考え方をしっかり持って、不動の人間の方が偉いと思っていたので、同じ内容にはすぐに飽きてしまう自分を何とかしなければならないという気もちだったが、ある時からアカデミックな教養主義に疑問が提示される時代になって、印刷という情報パッケージの弊害があったのではないかという気がしだした。印刷された知識をベースにした場合は、追加変更などの更新は年1回ということがある。これはコンピュータのアプリケーション開発でも同じようにされてしまい、またコンピュータの利用というのも年単位の計画とか予算取りが行われる。つまり人のリテラシーが印刷文化に支配されていたのである。
日本語ワードプロセッサの開発競争があった1980年代に、開発者相手にフォントや組版の勉強会を行っていたが、そのころは設計から製品出荷までが半年というスケジュールだったので、それまでの勉強のスピード感とは全く違うものとなった。その後Microsoftの活躍からGoogleまで、四半期単位の仕事をしているところは脱印刷のリテラシーになっていると思う。開発現場は理にかなったことをするのが仕事なので、頻繁に変更があっても対応できる場合はあろうが、マーケティングや経営という面では変更というのは大変なことだ。 日本語ワードプロセッサの場合は、モノ作りは臨機応変にできたのだが、日本語ワードプロセッサが今後どうなっていくのかという展望に関しては認識を変えていくことができずに滅んだ。
認識を新たにすることは、自分の考え方を変えることでもあり、危ないところを渉ることにもなるが、自分と周囲の状況の緊張関係を保つためには必要なことだ。20世紀の最後の四半世紀からの情報化時代というのは、印刷物からの静的な知識だけでなくテレビからデジタル通信に至る動的な情報にマッサージされながら、自分の認識を持つような時代であり、静的知識と動的情報の兼ね合いが上手にできる必要がある。そうでないと総論は静的知識で合意形成できても、動的情報が判断できなくて、具体的な案件では各論反対になってしまうのではないか、というのが日本の旧来のマネジメントを見ていて思うことである。