投稿日: Feb 14, 2014 12:50:26 AM
国の指導は大きなお世話
2010年のバンクーバー冬季五輪で国母選手の服装や態度が話題になったことがあったが、ソチ冬季五輪ではそういうことは話題にはならなくなった。当時国母選手はメダルはとれなかったが、それなりの活躍をしたので頼もしく思えた。何がいいかというと、スノーボードという競技がいかにも日本の教育委員会離れしているからで、それが服装や態度の問題も引き起こしたのだが、文部科学省や体協などの組織の外でもオリンピック級の選手が生まれるようになっていることである。これも一種の民力である。
2014年ソチ冬季五輪ではスノーボード・ハーフパイプで日本の若者が銀銅メダルをとったのだが、それも昔ながらの体育の組織の外での努力の積み重ねで成し遂げられたことは大きな意味がある。これはアマチュアスポーツが国などの指導のものに行われるのではなく、純粋であるべきという考えからいっているのではなく、逆にアメリカで賞金稼ぎをめざして切磋琢磨している民間スポーツの良さとか面白さを再考する機会でもある。
スポーツには視覚的な娯楽という側面があるので、ゴルフでもテニスでもプロの試合が人気を博す。それとアマチュアスポーツは別物のように思われていたのかもしれないが、近年はどうみてもアマチュアが純粋で崇高で、プロは金儲けでイヤらしい、というような評価は無いように思える。
むしろ体育振興の陰でパワハラ・セクハラがあったり選手選定に疑惑があったりと、若い人のもつ可能性を潰している面があるのではないのかと思わせるところもある。
だからプロを目指して、できるなら億万長者を目指して、実力主義のガラス張りの中で切磋琢磨しているアメリカ流の民間スポーツの方が機会公平なのかもしれない。
このような市場主義的な考え方はいろいろなところに共通していて、YouTubeでは自然淘汰でよいコンテンツのランキングができると考えるのと似ている。YouTubeなどUGCでは、ほっておくと問題のある映像も投稿されるにしても、それらを事前に審査する必要はなく、問題が指摘された時点で対処すればよいというオプトアウトで済んでしまう。
なんでもオープンにしてガラス張りにすることで、逆に良いものと悪いものとの境界も学習できるという文化がある。異議を唱えたいならば、それなりの論拠を用意して訴訟を起こせばよく、その積み重ねで納得性の高い制度ができあがるということなのだろう。