投稿日: Nov 21, 2015 1:2:28 AM
昨日、セレブレーション・オブ・ラブというコンサートが武道館であったので出かけた。武道館は久しぶりで、特に音響の悪さは辟易していたので行きたいところではないのだが、普段自分で聴くことのないイマドキ若者のロックとか、アメリカのpopのようなものもあったので、考現のために聞いてみたいと思った。基本的にはキリスト教的音楽なのだが、国や世代が異なると音楽様式は全く異なる。ある意味では音楽様式は世俗に属するものであるともいえるが、スピリット的には一つという面白さもある。
ステージに立つのはアマもプロもいるのだが、武道館のような音の悪いところでは、場馴れしている方が有利で、他のホールのようなつもりで演奏すると、エコーはかかるは、ベースはエンジンの唸りのようになるは、など相当聞きにくいものになってしまう。そこを見越して多少アレンジできるのがプロなのだろう。残念ながらアマ的な演者には不利なようであった。
日本のゴスペルのコーラスも予定されていたのが、時間が押した関係からか出られなかったのも残念だった。音楽的にはやはりベテランであるオーストラリアのヒルソングのチームとかアメリカのpop歌手がレベルが高く、特にヒルソングはもっと時間をとってもらいたかったほどだ。
ゴスペルが無かったので黒人音楽的なものは日本のロックしかなかったのだが、今回かえって「黒人音楽的」とは何なのかを確認できたように思う。それは音楽で体が動き出すかどうかである。専門用語ではビートとかグルーブということになるが、たとえスローテンポな曲でも体が揺れるものがあり、そこから本来の「ロック」は来ている。スローなダンスでもロックなのである。黒人由来のゴスペルにもそういう要素がある。
popでもヨーロッパのフォークロア的なものはビートとかないなあ、とか、考現のために来ただけの成果はあったと思った。問題は武道館そのものである。
金曜日のコンサートは若者向きらしく、クラッシックや聖歌・讃美歌ははずされていて、土曜・日曜のプログラムとは別になっていたようだ。しかし高齢者が多い日本で武道館のようなところに集まってもらうのは申し訳ない気がする。九段下から坂を上らなければならないし、外階段は急で危なく、入ってもエントランスもなく、席の座り心地も悪く、観客の動線も作りづらく、まあ良いところは一つもないイベント会場だと思った。国立競技場よりも先に潰して建て替えた方がよかっただろう。国技館を使わせてもらえるのなら武道館は要らないかもしれない。あるいは第2国技館を作るとか…
オリンピックを考えると、武道館は日本の恥さらしになるかもしれない。
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