投稿日: Jun 25, 2012 12:33:44 AM
キュレータに活躍してもらいたい方へ
2011年の7月に音楽評論家で雑誌『ニュー・ミュージックマガジン』の創刊をした中村 とうようが亡くなったことを、記事『コミュニケーションの基本は同世代向け』で書いたことがある。氏には78rpmのレコードを買い取ってもらったことがあって、それらがどうなったか気にもなったが、膨大なレコードコレクションのうちの一部(78rpmなど)は客員研究員をされていた武蔵野美術大学に寄贈されている。氏はレコードだけでなく楽器や雑誌や音楽に関するもろもろのコレクションがあって、おそらく収入はそのようなものに変わっていたと思われる。それらが氏の死後どうなったかはわからない。欧米ならばオークションにかけられるのだが。
日本でも1960年代からのR&Bの評論家・ライターの方が認知症になりかけてレコードコレクションを処分したことがあるが、これはebayに出す人がいたために、世界の同好の志のところに分散していって、ゴミとして処分されることはなかった。中村とうよう氏のように有名でなくてもいろんなコレクションをしている人がいて、その人が亡くなると多くの場合ゴミになって処分されるものが多い。何か特定分野に造詣が深くて、いわゆるキュレータ的な資質のある人でも、あまり高齢になると情報発信や情報の整理はできなくなってしまう。だからその前に、その分野で活動中の誰かに引き継げることが望ましい。
アメリカは大消費社会で大量生産でどんどん商品を撒き散らしている一方で、ebayなど再度別の視点で評価されて流通するようになっていることを記事『生産しないで販売する』で書いた。一般に出版というビジネスはトップダウンの一方通行だけを考えがちだが、次の情報源とかクリエーションとなるところにネタを還元する仕組みがないとビジネスとして循環していかない。それは必ずしも商品流通ではなく図書館であったり古本であったり家や友人との本の貸し借りであったりする。その延長上にネットでの情報共有もあり、それとファイルシェア・ダウンロードのようなグレイなものが入り混じる。出版のトップダウンなビジネスの面からだけこれらを取り締まることへの疑問は、ビジネスと文化基盤の関係の議論として行うべきである。
これに関しては国情で常識が異なるようで、欧米は図書館利用が日本の倍ほどあり文化基盤の重要さが認識されて、アーカイブ公開に関しても割りと寛容だが、日本は書店で本を買うことがメインになっているので、古本はもとより図書館もケシカランという人もいるほどである。しかし「読みたい」と「買いたい」は区別しないとどちらも発展しないと思う。前述の造詣が深いキュレータの活躍の場は、人の関心を呼び起こす場であって、それが社会的に醸成されていないと、人々がコンテンツに目をやる機会がなくなる。音楽で言えばDJなどがそれにあたり、ネットに何百万曲があろうとも、それを端から聞く人はいないわけで、ラジオ番組のようなPlaylistとして組み立ててくれるところが必要になる。
たまたまLPとかCDはPlaylistをパッケージ化したものであったが、ネットでは「ラジオ」的なものしかパッケージ化されない。そこではLPとかCDのライナーノーツのようなものがが無いのが物足りないところである。本なら書評で、書評をシェアするWebも出来ている。出版やレコード会社が違法ダウンロード対策を心配するのなら、もっと合法的にコンテンツを楽しむ場を提供すべきである。従来それは書店やCD屋の役割であったのが減って、それらに代わるところがないからである。tutaya代官山はよいヒントである。
中村とうよう氏のような専門雑誌を出した人は大キュレータであったわけだが、氏がいなくなっても、そのコレクション自体がキュレータ的な役割を果たすとか、他のキュレータから参照されるようなものとなるので、書籍として編纂されているし、昔なら博物館を作ったのかもしれないが、WebサイトとかeBookとしてもっとアーカイブ化して活用されるといいと思う。