投稿日: Jun 22, 2010 1:18:54 AM
ネットは無法地帯を広げると心配の方へ
インターネットのISPに契約する際に、家庭内で決済を得るために、雑誌を何冊かやめることができると説明をして許可を得た思い出がある。これはその通りになって、一番最初にやめた雑誌はパソコンや電子系のものであった。Webの普及は無料コンテンツのお陰といえるが、単に無料なだけではなく、当時は特に最新情報やレビューに関しては、紙メディアはとても歯が立たないことが明白だったからだ。アメリカでPC人柱高校生が自社サイトに広告を載せてBMWを買ったことがあったほど、最速情報源には世界中が注目をするようになった。インテルとAMDのCPU開発状況をリアルに伝える掲示板もあり、IR情報をどう読み取るかがわかった。
その後Blog時代になって、個人の情報発信は当たり前になった。しかし個人が発する情報にそれほど立派なものがないのは当たり前で、情報量の問題ではなく、例えば企業からのIR情報しか得られないという状況が大転換したのである。つまりパソコン通信以来、企業やマスメディアの一方的な情報支配が崩れ、インターネットの常時接続で垣根なく情報発信に参加ができるようになったことが画期的である。あるIR情報がよさそうなことを書いていて、競合企業が論破することを書いた場合に、「あなたはどっち派?」的な議論ではなく、それらの読み解き方が議論されて、IR情報の背景がディスクローズされる点が面白い。このようなプロセスは雑誌では不可能なことである。
しかしWeb利用は建設的なものばかりでなく、YouTubeへの投稿と削除のいたちごっこのようなものもある。だからといって法規制や技術的手段では解決しない。それはYouTubeとか私的複製への補償金制度とか具体的な事象の背後にある情報インフラ整備や技術革新が止まらないので、現状から出発する法規制や固定化された技術では想定外のことが起こるからである。今、自炊→オンラインストレージ→ダダ漏れ、を心配する人が多いだろうが、最初に認識すべきは情報伝達がオフラインの媒体からオンラインに移行していく必然性である。
私的録音録画補償金制度はちょうどWebの興りの頃に始まったものだが、DAT,MD,CD-R から Blu-ray に至るまで、安価なデジタル記録媒体や機器の流れの速い変遷を横目で見ながらも、オンラインに向かう時代の変化には対応できていない。だからiPodなどは採り上げようがなかった。この理由は2つ考えられて、既存のビジネスを変えたくないとか守らねばという感情に先に支配されてしまって状況を見ていないことと、一旦制度ができると、まさしく制度のための制度になっていくことである。まだ知財権に関する法律のほうが若干はましだが、土台の変化を先に認識しなくては、将来の制度は考えられない。
さて、ダダ漏れがどうなるのかを考えると、オンライン化が避けられないならば、ダダ漏れよりは国会図書館の電子化やGoogleBooksのような管理されたシステムの方が、いろいろ交渉しやすいし、ビジネスへのリンクも考えやすいことになる。GoogleMapやGoogleEarthも実は差し支えないものを見せているだけなので、電子図書館といっても同じで差し支えあるものを取り込むことを検討する必要はない。この差し支えないものだけでも十分な有効性があることは想像できるだろう。
ダダ漏れはマナーの話なので、リテラシーのあり方として考える必要がある。光の道議論はBB通信インフラが一段落するところの話であって、その先にコンテンツのインフラ化の兆しがあり、そこまで睨んだメディアのリテラシーの議論がされて欲しい。