投稿日: Sep 02, 2011 11:25:49 PM
次世代が不透明になっていると思う方へ
一昨年に義母に写真を送らなければならないことがあって、デジタルフォトフレームに入れて贈った。そのときデジタルフォトフレームはよいものだと思ったので、あとで自分用にも買おうかとも考えたが、なんだかんだしているうちにAndroidの安タブレットが出たので、そっちにした。ちょっと割高だがバッテリ代だと思えばよい。家の中をあちこち持ち運べるというだけでも、ACアダプタのデジタルフォトフレームよりも優れる。デジカメのSDカードを挿せばそのままパラパラみることができて、一段落したらSDカードをはずすような使い方だ。その後、iPadが発売になったが、おそらくAndroidタブレットを超える使い方は、当面はないだろうと考えて、しばらくは買わないことにして今に至っている。
でもiPadは優れたものだと思う。技術的には大したことがない。Androidタブレットよりも表示がきれいだ。しかしカメラで撮った画像を評価するには安物の表示の方がよい。デジカメ撮影はオクサンがやっているのだが、その選定は私もかかわる。録音された音楽を評価するには上等のステレオよりもラジオから流れるモノラルを聞いた方が特徴が分かることと、安物の表示で撮影のデキを見るのとは共通している。似た画像がいっぱいある中で、どれが一番キャッチーであるかを見極めなければならないからで、褒めるのが目的ではないから安物で用が足りる。1年以上たった今、iPadにしておけばよかったという点は、今のところない。iPad固有の用途が思い浮かばないのである。
iPadの技術的にこだわった点は画像とバッテリライフぐらいしかないように思えた。それでもiPadは優れている。iPod以来のSteve Jobsの作品群は電子機器という分野で考えるべきものではなく、モノ作りの際のこだわりの手本のようになっている。つまりSteve Jobsはブランド品作りの志向をコンピュータ製品に持ち込んだパイオニアとして後世に名を残すのだろう。おそらく日本のガラケーからもヒントを得ていると思うが、残念ながらガラケーは日本でしか評価されないビジネスであるがゆえに、世界に通用するように磨きをかけることはなかった。ノートPCのように世界共通の製品ではSonyもデザインでがんばったと思うが、ちょっとノートPCの定番機能に束縛されすぎた。Steve Jobsはそこを打ち破ったのでiPadが登場したのだろう。
別の見方をすると、ノートPCが家電店で売られる時代になったのに、かつてのオフィス用の仕様を引き継いで似たノートPCを延々と作り続けている方がピンボケである。最近撤退が決まったHPのタブレットなど、iPadの登場時には各社からいろいろタブレットが出て、まるでカンブリア紀のようになるのではないかと思わされたのに、この1年を振り返ると、トンデモない想像力はこのパソコンの世界からすっかり抜け落ちているかのようである。しかしこれでiPadの独り勝ちで収束するとも思われない。製品としての完成度の高いiPadに不足しているのは利用シーンを想像する点である。利用という点でもっとアイディアのバトルが起こるはずだ。きっとカンブリア紀が先送りされたのだろう。