投稿日: Jan 26, 2013 2:39:34 AM
やはりクオリティが第一と思う方へ
コンテンツがデジタル化していくと供給過剰になって、需給バランスからすると価格下落をすることを以前から書いているが、それがロングテール化の実態である。デジタルコンテンツは在庫切れがないということは、アイテム数が累積的に増えていくわけで、それに対して流通方法やオーディエンスはそんなに増えないから、一見すると供給過剰になる。しかし供給過剰という言葉もふさわしくない。本やレコードは流通在庫を抱えているから、倉庫や管理のコストを抑えるために仕方なく供給を絞り込まざるを得なかった。本屋で言えば駅前の本屋は狭くて在庫をあまり持てないので、BookOff にも負けてしまうのである。また大型書店でも棚の限界があるのでネット書店にかなわない。だが逆にアイテムを絞って専門化するところに売り場の価値を出すことも可能となる。それが伸びている書店である。伸びなくても専門化して安定経営をする道は残っている。
だから一見するとコンテンツ全体では供給過剰なようでも、それは販売側が絞り込むという価値が発揮されていないことでもある。学術出版というのは対象が大学などに偏っているので、大学相手の電子図書館風なジャーナルのサービスが発達したのが、情報の絞込みの価値化のひとつの例だろう。つまり特定ターゲットを相手に必要な情報を取り揃えて、1冊いくらとは違うサービス料金を設定するものである。記事『ボーンデジタルな出版に向けて』では月間いくらかの定額で読み放題がもっとも古い電子出版古典モデルでもあるが、データベースの全文検索のようなものを置いておくだ けではなく、何等かのナビゲーションが価値になることを書いた。
ネットの時代になって個人の情報接触の振る舞いは、掲示板の喧騒を経て、Blogという主観の世界も経て、SNSという情報共有の段階に至ったわけだが、出版ビジネスでいうと、メルマガ、Blog集積型サイトを経て、有料の読み放題型サイトというように、電子出版古典モデルに収斂していくように見える。その潮流でニコニコは会員を増やしているし、cakesのように少し真面目なものもある。これらは月額固定の雑誌のようなものであり、電子雑誌たるものは冊子の形式を電子的に受け継ぐものではなく、日本ではあまり発達してこなかった雑誌販売の定期購読制のようなものになろうとしているのだろう。
つまり、雑誌のノウハウでデジタル時代に残るのは企画・著者折衝・編集であるのだから、それ以降の制作や販売は時代とともにどうなってもいいような、あるいは柔軟に環境変化に合わせていくような心づもりになる必要がある。むしろ以前より増えてきたデジタルコンテンツの中から企画・著者折衝・編集をすることは、さらに高い編集能力が求められるし、結果としても質の高いものを供給することが可能になることでもある。編集とキュレータは同じではないが、紙の時代よりも良い仕事をするとか、紙を超えたキュレーションで総合的な仕事をするつもりの志の高い「編集者」が活躍するようになると、デジタルコンテンツが本番の時代になったといえるのではないか。