投稿日: May 04, 2012 12:46:7 AM
コンテンツは本来自分たちで作るものと思う方へ
白人にとってのBluesアイドルにB.B.Kingがいて、日本にも何度か来たことがある。初来日の頃は私は大阪で印刷に携わっていて大阪公演ポスターを作った思い出がある。それは1970年代に入ってのことであるが、ヨーロッパではその10年位前からアメリカンフォークブルースフェスティバルという興行が毎年行なわれ、また白人の若者がブルースバンドを作るブームがあって、それに乗じてB.B.Kingも世界的ミュージシャンになっていった。これは記事『文化は業者が担うものではない』に書いたブルースが黒人社会の閉鎖的な音楽で普遍化につながらないこととや、記事『コンテンツはビジネス側からは捉えきれない』に書いたブルースが黒人の社会の中では隅に追いやられるようになっていったことと反対のように見えるが、この頃にブルースの定義が変化したとも言える。つまり1960年代初頭までのブルースは黒人が「オレたちの貧困の歌」と思っていたのが、ヨーロッパで評価されたことで「ブルースは誰にでもある」という普遍化を成し遂げたのである。
言い換えるとブルースの定義は2重になったともいえ、ヨーロッパ公演やジャズフェスティバルにも出るB.B.Kingの様式化したブルースとは別に、黒人社会の中のエッセンスに注目する見方である。例えばブルースバンドとは呼ばれないローリングストーンズは実際にはブルースの録音は初期に結構行なっているが、彼らはB.B.King的なブルースはやらないで、もっと原型的なブルースしかテーマにしなかった。彼らはメジャーなバンドであったにもかかわらず、いつもいろいろな音楽の源流のようなところに強い関心をもっていたからである。
では後者が本当のブルースで普遍化したものが偽物かというと、そうでもなく、そのころアメリカで嵐のように起こっていた公民権運動は黒人自身にも貧困や差別を受け入れて嘆きながら人生を送るのではなく、当然あってしかるべき人権を訴えるべきという考えが常識になっていったので、1960年代初頭には貧困のブルースの録音は激減していって、B.B.King的ブルースへの転換が一時的にどっと起こることがあった。しかし黒人社会ではすぐにB.B.King的ブルースもあまり録音されなくなり、ソウルの中の曲調とかレパートリーとして時々取り上げられるように変わった。B.B.King的ブルースは1970年頃には黒人向けとしての録音は激減したが、代わって白人向けのレコードレーベルで量産されるようになった。
ところがこれらは世界的なレコードの配給の視点で捉えた場合であって、実際の金曜土曜の夜のクラブとかジュークボックスでは黒人向けブルースはもっと多く残っていた。それはダンス音楽的であったり一般的にはふさわしくない様式であったり放送禁止の内容であったり、内容がローカルすぎるからである。ジュークボックスは1曲5-10セントで何分か踊れればよいので、レコドレビューなどは無関係で、記事『コンテンツは自然に湧き上るもの』に書いたChitlin' CircuitのChitlin' ミュージックの中に黒人向けブルースは残ったのである。だからJimi Hendrix の下積み時代の音楽をLPやCDにしてレコード評をすることはものすごく難しいのである。
実は45回転シングル盤は製作コストが大してかからないので、どんなローカルでも気軽に録音できるものだった。その特性は黒人音楽には生かされて利用されたが、大音楽企業に支配された日本の音楽産業では決して誰でも気軽に録音できるものとはならなかった。せっかくデジタルで情報発信の敷居が低くなったのだから、音楽産業の傘下で音楽を作るという発想から抜け出さないと、デジタルの力を活かすことはできないだろう。