投稿日: Jan 07, 2014 12:29:18 AM
発案者の特権でもあり苦悩でもある
新たなことは最初は何でも思いつきから始まるが、それでストレートに成功するようなビジネスとか運動とかはないだろう。紆余曲折を経ながら社会への着地点を見出すのに何年もかかるのが普通である。特に過去に類似の物とかサービスがない場合には立ち上がりに時間がかかってしまう。その覚悟をもってベンチャーをするわけで、そのためにはサイドビジネスで食いつなぐ技量も必要になる。IT関係では生業として「ホームページを作ります」というのがあるわけだが、それも長くやっているうちに、本当にホームページを作るだけの人になってしまう場合があって、若いときのひらめきはどこかに置き忘れてしまう。
twitterが登場したときに、コンセプトがよく練られているなあと感心した。思い付きからlaunchするまでに何年もかかったという。結構哲学的な思考や考察がされたのだろうと想像する。個人が何かを思いついてから他人に協力を得ようとした場合に、その効用を説明するのに大変骨が折れる。これが会社であると会議にかけていろんな人の意見が入ると、最初のインスピレーションから歪んだ姿で出発せざるを得なくなる場合がある。特にマーケティング調査などを行うと大きく軌道修正をしなければならなくなることもある。
つまり人を説得できないような思い付きは社会に植えつけることができないということである。だから説得能力を高める上でもコンセプトを練る思考や考察を少人数でしっかりやっておくことが重要になる。思い付きから何年か経るうちに、コンセプトが練られていくか、あるいは周囲のノイズにかき消されていくかのどちらかである。
SNSの最初はfacebookではないが、それまでの掲示板の延長のSNSではなく、人の関係をベースにしたfacebookには大変大きな可能性を感じたが、facebookがネット上のメディアを飲み込んでいくことはなく、単に量的に大きくなっただけのような気がする。
facebookのコンセプトは人の関係をソーシャルグラフとして処理可能にしたことだと思うが、これを使って新たなメディアの領域ができる可能性があった。しかし実際には広告やスパムや悪用されることの方が多い。つまり技術的に可能なことは、社会的な価値としては善にも悪にも成り得るわけで、新技術をポンと放り出すだけでは思うようには社会に着地はしてくれない。
その意味ではfacebookは哲学的な思考や考察が不足していたが故に、量的拡大以外の道には行けなかったのかもしれない。これでfacebookには限界が来てしまったと言っているのではなく、ソーシャルグラフについてもっと考察してくれるパートナーさえいれば、悪用を抑えて次の次元に進めるのかもしれないなあ、と思う。
果たして社長のブレーンの中にそのような人はいるのだろうか?