投稿日: Oct 19, 2011 1:57:33 AM
ネットに期待と不安が同居する方へ
この表題は、YouTube自身が実際にどういうものであるのかということと、ソーシャルメディアでもあるYouTubeが示すところの世界の事実という2つの意味がある。YouTubeはそもそも自分の撮った映像をネットにアップしてシェアするという目的のものであった。それが世の中に広まるとどうなるのか、という議論があるが、YouTubeは当初の目的のような使われ方はせずに、TV放送やDVDのキャプチャが勝手にアップされて、YouTubeはケシカランという話もでてくる。しかし目下の現象だけで判断するのでは、たいていの新しいことは混乱の元とされてしまう。Wikipediaも同様で一貫した品質が保証されないことを問題視する人もいるが、ネット利用全体からみると怪しい情報源よりもWikipediaの方が圧倒的に良く見られて、結果的には良貨が悪貨を駆逐することになっている。YouTubeも品質の一貫性などもとより問題にしていないし、これによって社会を見る窓が一つ増えたことに大きな意義がある。
YouTubeの運営上は、違法性のあるものの除外や、不適合と指摘されたものの処理は行って、違法キャプチャのためにあるのではないことを示し、本来の生活者が日常撮った映像や、珍しい光景、過去の貴重な映像のシェアなどが蓄積されていった。今まで文字でしか知らなかったものが、実際に見るとこんなんだったのか、ということは随分多くあった。テレビが普及する以前の音楽に関して出てくるダンスの種類、楽器の弾き方や配置、音楽を聴く聴衆の様子、などなど、日本ではレコードから出る音しか判断材料がなかったものが、かなりリアルにイメージできるようになった。
権利問題にはうるさい音楽コンテンツであっても、ヨーロッパの放送局はアーカイブ映像をYouTubeにあげるように変わってきて、この1年でテレビ初期のものも随分見られるようになった。しかもいままで家庭の受像機から録画していたような画質ではなく、元からデジタル化と補正をしているようなものもYouTubeにある。これらは音楽産業側からはマーケティング的な効果を考えてのことであろう。素人のカバー曲の演奏のアップについても、規制や警戒感は弱まって、割と自由に広がって増えつつあるようにみえる。初音ミクに賛美・プレイズさせているものもある。
先日は庭木の処理をきっかけに、チェーンソーの使い方・手入れ、チェーンソーの世界選手権、森林の手入れ…、というように際限なく連鎖する映像に引き込まれてしまった。災害映像もいち早くYouTubeにアップされることは以前に書いたが、マスメディアのサイトは古いニュースはすぐに見れなくなってしまうのに、YouTubeはずっとアーカイブされるので、過去を振り返る調査や社会学的な研究の対象にもなってくる。ニュースといえば、日本では海上保安庁の人が中国漁船の体当たり画像をリークしたようなスクープも世界中からYouTubeにあがる。
しかし冗談とか、コラージュ、捏造なども増えている。切り貼りで実際にない映像を作って画質を悪くしてお宝映像にするとか、人を騙そうとするものもあるが、YouTubeでは似たものが並んで表示されるので、その1点だけを見ると信じてしまうかもしれないが、似たものを見ていけば不自然な映像は浮いていしまう。ただこういった見分けにはある程度のリテラシーは必要である。一方でマスコミの方がコンテンツにフィルタがかかっていて安心ということは今後とも変わらないだろう。イカサマもまた世の真実の一部というくらいのつもりでいたほうがいいだろう。