投稿日: Jun 24, 2014 2:10:37 AM
国民性というのもあるが、人には瞬間湯沸かし器タイプがあって、煽られるとすぐに火がついてしまう人が居る。ネットなら炎上にすぐに加担したくなる。やじ馬的ともいえる。はっきり言えばテーマは何でもよいのだろう。サッカーであろうと、野次であろうと。自分が一瞬燃えたことに何らかのカタルシスがあるのだろう。
また「いい話」を聞いて平静・安寧を得ることも、この燃えることの対としてあるのだと思う。単なるポーズでも深々と頭を垂れて謝罪されると、謝罪の中身を論理的に確認することが甘くなってしまう。裁判の結果などにも感じることがある。
逆のタイプはいわゆる「狸」であって、自分の感情は表に出さないようにしている人が居る。誰とも対立しないし、何が起こってもすぐには反応しない。これは必ずしも意図的にそういう態度をしているのではなく、じっくり自分で考える時間をとりたいというこもとあるのだろう。テレビでニュースを見ても、あくる日には新聞を読んで、週刊誌でもう一度見て、月刊誌で納得するというように、1か月後に自分で結論を出すようなインテリがかつては多かった。
紙メディアというのは、そもそもインテリの思考習慣にあわせていった結果、こういう日・週・月というサイクルの編集様式とか出版ビジネスが出来上がっていったのではないかと思う。一方冒頭のカタルシス提供型のメディアは大衆紙であった。大衆になり代わってゴシップネタなどを扱うもので、一時は写真週刊誌などもいろいろ発行されたが、この分野のネタは殆ど民放の番組に吸収されていったのだろうと思う。
いずれにせよ紙メディアが半分崩壊したような状態なので、紙で行っていたことの再構築とか代替というのが進行くしている。大衆紙に関してはネットがまさにうってつけの代替であろう。もう十分にその役割を果たしている。
しかし何かが起こった時に時間をとって自分で考えるためのメディアというのはネット上にはあまりない。たとえfacebook に非常に良い投稿があったとしても、1か月前のものを振り返って見ることはほぼ不可能である。Blogサイトでは過去の関連記事が1年分くらい出てくるのがある。しかしアーカイブ活用を想定したネットジャーナリズムはまだないのではないだろうか?
「狸」的態度とは違うもうひとつのタイプに宗教ベースのものがある。公明党が集団的自衛権問題では自民党に及び腰であるように、戦争反対については長い年月を経た煮詰めがあってそれを簡単に翻せないからで、そういうことがなされるのは宗教がはなはだ慣性が大きいというか、世界が揺れ動くときには碇となっている。昔からの大方の宗教は似た役割を果たすもので、宗教が煽ることは実はあまりない。煽っているのは宗教を騙る徒党のようなもので原理主義とか新興宗教など俄かに起こってきたものである。
宗教はかつては紙メディアの牽引役であったにもかかわらずデジタル時代になって宗教側からのネットメディア活動というのも意外に少ない。
瞬間湯沸かし器型でないメディアが足踏みをしている間に、瞬間湯沸かし器ばかりが増えていくのがネットの現状である。