投稿日: Dec 05, 2015 2:0:58 AM
1960年代の音楽はまだ45回転シングル盤が主に流通していた時代で、ロックでは最初からLP制作もあったがLPだけではヒットチャートには入っていけずシングルカットも用意していた。私の聞いているBluesとかR&Bでは最初からのLP制作はあまりないのだが、Bluesの市場が拡大した1970年代以降は一挙にLP録音が増えた。有名なBluesManがヨーロッパツアーに出ると、イギリス・フランス・ドイツその他いろんな国でスタジオに連れ込まれてLP録音をしていた。当然来日アーチストもLPは残していった。これらLPは1日か2日の録音で制作したもので、来日記念盤のようなものであった。
一方記事『黒人音楽と、黒人向音楽』で採りあげた、アメリカの黒人市場だけを相手にしたミュージシャンはその後もほとんどLP制作用の録音はせずに、1年に1曲とか2曲を録音し続けている場合が多い。それらが私の収集対象なのだが、前述のヨーロッパ盤LPよりも数は少ないかもしれない。つまり1曲を録音するのにどの程度の手間暇をかけているかの問題である。
だいたいそれほど有名ではない黒人ミュージシャンは昼間は働いているので、夜になってスタジオに集まってきて、1曲を録音するのに10テイクも20テイクも繰り返すのだろう。場合によってはあっさり完成して時間が余ってしまい、予定外の録音をするとか、別のメンバーが歌ってみるとか「ついで録音」がされる場合もある。(Otis Redding もBooker T の録音が早めに終わってしまったので"These Arms of Mine"を吹き込むチャンスが与えられ、それは80万枚売れることになる。)
これらはバンドのメンバーがどれだけ神経を集中して一つの音作りをするのかというボルテージの高さの問題で、ライブハウスの演奏のようなLP制作と、非常に細かい音のチェックをするシングルカットでは、相当異なるモードになっていることを意味する。別にライブ録音が劣るという意味ではないが、1曲の短時間勝負という独特の音作りがあるということである。1~2時間にわたっての雰囲気作りという場合はライブ的な録音方法がいい場合もある。
Otis Redding の初ヒットの場合は、バンドの側が短時間勝負をうまくできた直後の録音だったことも幸いしていたと思う。またOtis Redding 側も持ち歌はライブでは以前からずっと歌い続けていたであろうと考えられる。45回転時代というのはLP時代と比べるとオリジナルな曲を作って醸成するのにかける時間は10倍くらいあったのではないかと思う。
1970年代以降に白人青年が黒人をスタジオに連れ込んでBlues録音をし始めた頃の回顧録や手記も最近は読むことができるのだが、LPでなければ世界的な流通販売はできないし、LPにするほどのレパートリーをどうかき集めるのか、というジレンマに悩まされていたようだ。はっきり言えば無理やりLPを作っていたと思うし、そのためにBlues ブームは10数年もすると下火になったのではないかと思う。
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