投稿日: Nov 04, 2015 1:14:21 AM
かつて100ドルのノートPCを開発してアフリカにばら撒こうという話がいくつかあった。MITの有名教授もOLPC(One Laptop Per Child)というのを教育用ということで伝道していて、それに近い商品もできつつあった。これを寄付によってアフリカの子供たちに配った。と同時にアフリカの国に通信インフラをアメリカが売り込んでいたのである。これがビジネスとしてうまくいったのかどうかは知らないが、教育に活用されたという話は聞かない。
最初にもらった子供たちは学校でノートPCを充電して、持って帰って家の明かりにしていたという話があった。家には電気がひかれていなかったからである。今は100ドル以下のスマホが発展途上国でも普及して100ドルPCのプロジェクトは消えいりつつある感がある。そもそも世界にはまだ自分たちの使う文字が文字コードやフォントという形で整備されていないところがいっぱいあって、そこでノートPCを教育に使おうとすると英語教育をしなければならなくなる。そんなことが受け入れられるであろうか?
以前からMITの有名教授の発言には疑問をもっていたが、良く知らない人に夢や期待を掻き立てて、裏側で別の商売を画策するようなのはイノベーションでも何でもなく、一種の詐欺ではないかと思うが、みんなで乗っかれば犯罪ではない、ということだろうか。しかもこれは歴史的に古い商法でもある。
19世紀後半にはアメリカでピアノが量産されるようになり流行したが、これは誰でも鍵盤を押すだけで演奏できるという夢に基づいていた。100年後にパソコンのBASIC言語を覚えるならば自分で自由にプログラムが作れる、というのも同じような夢物語であった。今はスマホとクラウドで何でもできるように言うのも行き過ぎの感がある。
こういうことが成り立つのが現実であるし、こういった集団妄想的なマーケティングは極めて市場が大きいのも特徴である。購入することが相応しいことを説得する一応の論理的な根拠はあるにしても、それ以上に勝手に夢を膨らませられるものがそうなるのだろう。需給よりも人々の期待感が肥大化して市場を支えることになる。
OLPCの場合は予期せぬスマホ・タブレットの登場で夢が潰えて期待市場が出来なかった例ではあるが、人が夢を描き続ける限り期待市場は作られ続けていくし、人はその中で生活するのを心地良いとさえ思っているフシがある。クルマとか生涯のローンでマイホームを持つというのも似た点がある。
BtoCのビジネスをするにはその時々の期待市場に乗っかることがカギになるだろうから、BtoBで実利優先でビジネスをしていた人がBtoCに関る時の大きな課題であるともいえる。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive