投稿日: Mar 10, 2014 12:59:29 AM
インテリの無力を感じた3年
東関東大震災から3年目を迎えようとしている。東京でもびっくりするほど揺れたわけだが、その時はどこかで大災害が起こっているという恐怖心が沸いた。その後は津波映像に釘付けになり、また福島原発が爆発するのではないかということで関東の人は戦々恐々となった。原子炉の爆発は免れたものの、炉心の底が破れて放射性物質が地下水で流れ出していて今なお止まらない。津波の被害だけでなく海岸部は地盤沈下が何十センチもあって、もと通りの町づくりはできないで立ち往生している。
東関東・東北でも復興をしたところも多くあるものの、全く復興のとばりが上がっていないところも随分ある。この差は何だろうか? 第2次大戦の空襲でも、台風でも、阪神大震災でも、みんなの努力の積み重ねで復興するものとは異なる次元の判断をしなければならない問題が放射能や地盤沈下に関してはあるということである。
原発放射能漏れと地盤沈下に共通しているのは、土地の使用を放棄するとか変更しなければならなくなることで、これは既存の法体系の中ではなかなか解決つかない問題を含んでいる。震災の後に宮城の海岸部を案内してもらった(参考記事「石巻→女川を案内していただいた」)時に、元の状態に戻すことよりも、土地利用を変更せざるを得ないなと感じた。港湾の機能やそれに付随した水産加工の企業群を同じところに復元するのは無理のようで、もし産業の観点から早期に操業をできるようにしたいのなら、従来とは別に現状に即して街づくりの計画をした方がよい。しかしそこには土地の所有権の変更をどうするかとか解決できない問題が横たわっている。
つまり現状の法体系を無視したような強引な手を打たなければ、あるいは臨時に立法をしなければ、その場で暮らすべき人々を救えないのである。日本の国会も行政もまたマスコミもネットも、本当に非常時の対応はできないものだなと思った。特に国会や行政に関しては、むしろなるべく大きな問題に関わらないようにしているかのようで、それはあたかも自分たちの仕事を新たに増やしたくないからなのかなと勘ぐってしまう。
なにしろこういった問題はNPOやボランティアなど一般市民の個人レベルでは手の出しようのないものなので、法律の専門家とかが議論して政治家を巻き込んでいく必要があるのだろう。
放射能に関してもこの3年間のマスコミの記事で感じることは、一般の人が放射性物質に関して正しい理解をもつことは困難なのだということだ。風評被害が後をたたなかったり、逆に都知事選挙でも「放射能は体に良い」と発言する立候補者がいた。殆どの日本人が高校まで進んでいるが高校では原子核の話の中に放射線が出てくると思うが、おそらくそれらは人々の生活環境における放射性物質の害の話には結びつかず、教育は受けても理解はできない状態になったと思う。どちらかというと生物と放射性物質の話が必要なのである。
だからこの3年間に復興が今よりもっと進んだものとなっていて、さすが日本は違うと外国もびっくりするような結果がでていたと仮定したら、それには、法律家・科学者・医者などの高度な専門家が社会のために立ち上がって活発に議論をすることが必要だったのではないかと思う。
マスコミが非難される点は多くあったが、ネットもノイズが多く、専門家の有意義な議論の構築ができなかった点は課題であると思う。