投稿日: May 03, 2013 1:23:25 AM
黒人音楽の強みについて
音楽ビジネスを今日的に定義すると数分間のサウンドファイルをダウンロードしたり購入することになるのかもしれないが、そこだけ考えていたのではマーケットのことがわからない。コピー問題もこういう即物的な売買の側面に議論が行きがちで、音楽を楽しんでもらうという本質から遠のいているように感じる。
多くの人はレコードをベースにした音楽に触れることが主で、ナマ音楽は部活・バンド・習い事などをしていなければ接することが少ないのだろうが、キリスト教の場合は礼拝を始め諸集会に音楽による賛美はつきものなので、アメリカの黒人は奴隷の身分から解放された時点で最初に接した西洋音楽がキリスト教音楽であった。ここでは社会生活とナマ音楽の関係を考えてみる。
実は奴隷の段階でも黒人にスピリチュアル(霊歌)を教えているところもあったのだが、解放後に宣教師がおおやけで大々的に黒人にこれらの音楽を通して、キリスト教を布教した。黒人がまだ字も書けない段階から歌を通して聖書のことばを覚えて行った。聖歌・賛美歌はだいたい聖書の主要な部分をカバーするほどあると言う点では、仏教のお経に相当するものである。また日本で仏教用語が慣用表現になっているように、聖書の言葉が黒人の言語表現になっていった面もある。だから表面的にはアメリカの白人よりも黒人の言葉の方が聖書的に見えたりもする。そういった黒人のリテラシーの養育係をゴスペルという音楽は担っていた。
私は1970年ころからアメリカの45回転7インチレコードの黒人のゴスペルも時々買っていて、まだ未整理だが1000枚くらいはあると思う。実はゴスペルは音楽の様式は問わないもので、記事『偽装する文化(1)』ではメロディとしてはグリーンスリーブスとかアロハオエも入っていることを書いたが、詩は聖書からくることが多く、メロディは歌いやすいものをもってくるので、作詞作曲を明確に意識していない曲とか、伝統的で作者不詳というものも多い。
もちろんレコード産業が発達するに従って、レコードなるゴスペルは楽譜出版がされ、諸権利の確立もされていくのだが、先にそれが確立してから歌い始めるのではなく、音楽創作の下地としてのナマ音楽というのが広くあるのがゴスペルの特徴だろう。ナマ音楽の段階は模倣でも、自分流の歌いかたができるとオリジナルにしてレコーディングするようなことが繰り返されてきたと思う。
我々は黒人ゴスペルでもレコードになったものから判断するところが多いのだが、まずレコードから判断すべきことは、そのゴスペルがレコード化された経緯とか背景である。ゴスペル(とりわけシングル盤)をリリースする理由に大まかに4つのタイプがある。
第一は商業音楽の一種となるもので、これはだいたい有名歌手による。レコードレーベルもアメリカ全国的に名のとおったところから出ている。黒人音楽家はクリスマスソングを含めると誰でもゴスペルを録音したことがあるともいえるが、ゴスペルしか録音しないプロの歌手も結構居る。日本でゴスペルレコードといえばそういったプロのものを指す。
第二はゴスペル専門レーベルがあって、これはアメリカ全土に配給がされ、プロのゴスペル歌手はそこが主舞台になっている。これらは日本でもあまり扱っている店はないが、アメリカには相当数のこういったレコードが流通していた。
第三はアメリカ各地にあるローカルレーベルがゴスペルを出す場合で、アメリカ全土には配給がされないので、どんな人がどんな曲をやっているのかよくわからない。プロのゴスペル歌手によるものもあるのだが、そうでない場合は音楽スタイルはもっと自由で、これがナマ音楽に近いものだろうと思える。
こういった配給の限定されたゴスペル専門レーベルというのもあって、これらには明らかにプロではなく、地元の教会の聖歌隊などが中心となっている。黒人の場合は牧師が歌うとかメッセージするものも多い。
第四は自費制作に近いもので、教会・教団が出しているものから、個人のものまである。こういったものをある程度集めているレーベルもあるが、多くは少数のレコードしか出していない。録音の質はバラバラながら教会の雰囲気が丸出しであるものもあり、ほぼナマ音楽が聴ける。
以上はアメリカの南部ゴスペル専門ラジオ局にあったレコードを買い込んで分析して判ったことである。
ゴスペルの影響を強く受けたソウルのヒット曲というのが時々あるのだが、それらの背景には上記第三第四のような形で歌い継がれて来た曲が多い。つまり第三第四が第一第二の土壌の役割をしているし、そういう重層的な厚みの上に商業音楽があるという関係が見えてくる。それが過去100年揺るがないアメリカ黒人音楽の強さなのだろう。