投稿日: Sep 18, 2014 1:3:19 AM
朝日新聞のゴタゴタもSONYの赤字も他の日本の大手企業の閉塞状態も、およそベンチャービジネスとは対照的な統率を欠いた組織形態になってしまったがために起こっているように思う。会議をしても前に進まない。ルンバとかGoProのような商品コンセプトは日本にもあったが、会議をすると予測される問題点が噴出する。ルンバが原因となって器物損壊になったらどう対応するか?GoProが街の人を撮影してしまって肖像権侵害で訴えられたら?というような話し合いを延々としていたら、どんな優れたアイディアも商機を逃し、あるいは葬り去られるであろう。それが今日本全体にはびこっているカビのようなものである。
新商品や新サービスにいろいろな障害があるとしても、何を実現させたいかを明確にしたうえで、極力リスクを少なくして、コンセプトをまとめあがていくことは、なかなか集団作業ではできずに、やはり個人の統率力が必要で、ベンチャービジネス的なものになると思う。それができたのが Steve Jobs のような経営者とか、あるいは軍隊式の SAMSON などであった。
それに比べると日本の大企業は官僚化しすぎたといえる。トップのサラリーマン化である。日本の全国紙のような大組織になると、個々の記者の記述の統制はできないだろうから、理念とかビジョンとかを共有しなければならないが、彼らサラリーマンの大組織がそういう点でまとまることはもうないであろう。言論こそもっと人間的な組織でなけれならないと思う。
日本の若い人にリーダー人材が居ないとか、若い人が統率された行動を嫌うとかいったことはないと思う。これは群れとして行動し、社会的な存在である人間の本質であって、ネット化したがために個人がバラバラになるといった類の説はあてはまらない。
日本は島国で外国からは隔絶されていて、各地方は分水嶺を境に水系ごとに地理的に区切られていたという自然条件のために、アメリカのように何かにつけ「社会」「国家」を考えなくてもよかったということもある。これはメリットでもあって、それならばこの自然条件という共通項の上にローカルごとに素敵な社会を設計すればよい。つまり地方分権を進めることである。実際に日本の文化は風土に根差していて、日本食はその典型ともいえる。つまり標準日本食などはなく、すべてローカル食なのである。
これを冒頭のベンチャーとか産業にあてはめると、ローカルな実生活に役立つことを開発していくことになる。それが最初は限られた地域の限られた用途のためであっても、そこで効果を現わせば他の地域のヒントになるはずだからだ。伝統的な1次産業はそのようになっていると思う。それを拡大して生活・教育などにもあてはめていく。例えば東関東大震災の被災地域ならこれからの街づくりや産業作りのための人材が多数必要になり、文科省の一律の教育だけでなく、もっと特化した授業があってもよい。
IT業界のゴシップとかネットのサービスのユーザー数などはたいていのベンチャーには関係ない。もっと地に足をつけることが必要だろう。それが無ければビジネスの焦点は絞れず、組織の統率もできないからだ。
官僚化したサラリーマン組織では考え付かないことを始めないと日本全体の活性化にはならないのではないか?
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