投稿日: Mar 09, 2016 1:19:43 AM
レイチャールスが日本に紹介された頃の事を、記事『音楽メディアのからくり』では書いたが、当時"What'd I Say"売っていたレコード屋での日本のレイチャールズのキャッチフレーズが『ツイストの帝王』であった。1960年代初頭はツイストとつく曲がヒットパレ―ドニよく出ていて、好んで聞いていたのだが、10年後にBluesを深堀するようになると、実は昔Twistと分類していた音楽の一部はBluesから派生したものであったり、中にはまるっきりBluesであったりすることがわかった。しかも45回転盤を集め出して気が付いたのは、Twistの反対面がBluesであることもしばしばだった。
つまりPops界にBluesはTWISTという変装をして紛れ込んでいたのだなと思った。記事『1960年代の黒人Indies
』では、JumpBluesのPops化したものがTWISTであるという位置づけにしている。このTWISTブームは世界を席巻し、それ以前のロカビリーブームと、ちょっと後のリバプールサウンドのブームの中間の世界的盛り上がりであったといえる。しかしTWISTは大スターを生んでいなかったようにも思う。
特に日本では懐メロ・オールディーズにTWISTが出てくることも稀で、TWISTは忘れられた音楽のようになっていた。
YouTubeができて、当時のアメリカのTVの音楽番組をいろいろ見たのだが、白人のツイストで有名なジョイ・ディーのペッパーミント・ツイストのバックバンドは黒人がいっぱいいて、しかもギタリストは Sam Taylor Junior というBluesManであった。この公民権運動直前のアメリカPOPS音楽シーンでは、白黒混成のバンドやコーラスも多くあり、市場も両方をカバーしていたし、そういう白さと黒さの微妙なバランスの中からTWISTは生まれたのかもしれない。
このことは、後にSOULやFUNKの時代になると黒人が黒人らしさを意識するようになってTWISTとは呼ばずにBlues系R&BやSOULという音楽に戻って行って、また白人も意識的に黒人のBlues 系音楽に没頭するようになり、かつてのような白黒バランスを取ることは無くなったのではないかと思う。
しかし私は今でも1960年頃のTWIST的な曲をしばしば聴いている。アップテンポのダンス曲はそれ以前も以降もずっとあるのだが、TWIST的grooveには独特の解放感があるように感じるからだ。
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