投稿日: Nov 25, 2014 11:55:24 PM
ドワンゴの川上氏が、Amazonの自主出版やAppleのせいで100円コンテンツばかりが増えるとクリエータは喰っていけない、というような発言をしていた。その記事をきちんと読む気がしなかったのは、コンテンツのデフレ化で再生産ができなくなるという論は今更珍しいことではないことと、やはり角川と一緒になる以上は出版ビジネスの側に立たざるを得なくなったのだなと思ったからだ。
もし活字離れという現象があるのなら、気軽に読めるものを意図的に増やさなければならないが、この場合は気軽に読めるものが自然増しているとなると、活字離れは主張できなくなるし、そうならば「悪貨が良貨を駆逐する」ではなく、「良貨」からみても市場拡大ということはマーケティング的には有難いことであるはずだ。
つまりコンテンツのデフレ化には100円コンテンツも良貨も両方売れるという面もあるが、今まで本の体裁はしていてもそれほど内容が無いものは100円コンテンツと一緒くたんになってしまうということだろう。それを図にすると以下のようになる。
縦軸は金銭で、トップは年間に億の単位の収入がある作家を考えればよいだろう。裾野の方は年収ではなく、コンテンツの単価をつけているのだが、例えば紙の出版の場合にクリエータの収入分布が赤線のようであったと仮定すると、デジタル出版は青のように、中間から上の層が細ってしまって、単価が0円に近い裾野のところが肥ってくるというのが、コンテンツデフレ論である。
今まで紙で1500円で売っていた本が100円になっては出版社はやっていけないという声はあるが、すでに読者からすればBookOffなどでそのような状況は産まれているわけで、Kindle100円コンテンツはワゴン売りだとすれば驚くようなものではない。つまりもうマーケットはそうなっているのに、出版社が対応できていないというだけではないのだろうか?
では出版社にはもう打つ手は無いのだろうか? いや100円コンテンツをマーケティングに使うということは十分にはできていないように思う。岩波書店の小冊子『図書』のような100円コンテンツ(実質無料?)にはファンは大勢いると思う。こういうのをもっと広めないのはなぜだろうかと不思議でならない。
日本の出版にマーケティング機能が不足しているのは、出版社が自力で本を売るように努力しないで済んだからなのだろうが、やはり自力で売る工夫をする必要があるわけだし、そこでデジタルの100円コンテンツの出番もあると思う。
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