投稿日: Mar 23, 2011 10:49:39 AM
毎日東北関東大震災の関連ニュースばかりだし、そこからいろいろなことに思いを巡らす日々が続いているが、なかなか重苦しい気分になってきた。日本がやるべきことが多すぎるのである。今のままだとGDPは5%失われたとかいわれていて、それに電源事情や流通事情など他地域のスローダウンがいろいろあると、2011年のGDPは10%減くらいにはなってしまうだろう。もし日本人が奮起してもっと働くとしても内需で10%を上乗せすることはできないだろうし、輸出を10%増やせるネタも難しい。
しかしこの際、今までの日本が抱えていた無駄を思い切ってカットするということは、きっと始まるだろう。選挙のやり方でも大変なカネがかかるし、自治体の仕事でも前世紀の遺物のようなプロセスは多くあるので、できることなら棚卸ししてもらいたい。安否情報をWebで確認するソーシャルな方法などは、ハイチ地震その他海外の経験が日本に反映したものといわれているが、こういったところからガラパゴスの壁に風穴が空いていけば面白いのだが。
かつて、アメリカでDTPの黎明期に取材をしていた時に、水害で地方の新聞社が水没して、最も早く新聞発行にこぎつける方法としてDTPで間に合わせ、そのまま新聞はDTPで作るように変わったという話だった。阪神大震災の頃も日本のDTPの立ち上がり時期で、震災で製版設備が失われたところにDTPが入っていった。今東北の新聞社で停電になって新聞が出せなくなったところが、記者たちが手で壁新聞を作って避難所に貼りに行っているニュースがあった。そのうち壁新聞は作られなくなるだろうが、記者が直接作るWeb新聞のようなものに発展するかもしれない。
印刷機の復旧や印刷用紙の手だて、また新聞紙の宅配などが、もしかなり遅れるような地域があると、ネットでの新聞というのは現実味を帯びてくるかもしれない。今製紙工場の被害によって、4月からの紙の供給が不安視されているが、日本の紙の供給力は復元しないかもしれない。それは設備投資にみあう今後の需要増が見込めないかもしれないからだ。一時的な需要なら輸入紙でも対応できるとしても、印刷工場も今から作ることは考え難く、今ある設備を共同利用するような形で集約化というか縮小していくだろう。
印刷の縮小は被災地だけでなく、印刷本のコスト安によって立つような多点数出版という経営のあり方にも、見直しが起こるかもしれない。