投稿日: Feb 26, 2015 2:7:58 AM
ブルースファンの中には白人によって紹介されることの多いシカゴブルースのファンが多い。「シカゴブルース」しか興味がないという人も居る。これは主に1947年頃から1960年代までの少人数コンボによる演奏形態のことを指していて、ビッグバンドによるブルースは含まれない。シカゴは当時アメリカの中心的な都市で、メジャーなレコード会社はいくつもあって、立派なバンドによるブルースも多く録音されていたのではあるが、それらは今日に至るまで無視されているといってもよい。「シカゴブルースファン」の原点は戦後に生まれたインディーズによるブルースで、それらの会社がビジネスとして成り立ったのは1960年までで、以降はそれまでのレコードのリメイクを延々としているようなものである。(参考 45回転盤ブルース)
そのいわゆる「シカゴブルース」はシカゴや他の都市部に住んでいた黒人の唄ではなく、南部からやってきたばかりでヒドい暮らしをしている黒人の唄でなければならないからだ。歌詞は南部の田舎に対する望郷とか、音楽そのものもデルタブルース風になっていなければならない。また楽器演奏も歌もうますぎてもいけない。歌がうまいと、ブルース以外もついつい歌ってしまうからブルースマンとしては失格になってしまう。間違ってもフランクシナトラとか白人のカントリーの曲をやってはいけない。これらはすべて非黒人の「シカゴブルースファン」が作り出したルールである。
しかし非黒人が何と言おうとも、シカゴに住む黒人たちの娯楽としては、多様な音楽が楽しまれていた。南部の田舎を離れて以来、黒人はいろいろな音楽に接して、それを吸収しながら黒人大衆音楽をリッチにしてきた。ラテン系のリズムもよく取り入れられ、それらが黒人音楽としてヒットしたものも多い。黒人のブルースは1950年代を通じてR&B化したといってもよい。それを「シカゴブルースファン」は黒人がブルース離れをしたと捉えていると思う。
事実1950年代の「シカゴブルース」を担っていた数限られたインディーズは、R&B化を進める別のインディーズに取って代られるようになって、ミュージシャン達はそこに移籍し元気に音楽活動を続けていたのだが、それは「シカゴブルースファン」からすると転向に思えたのだろう。
非黒人は「シカゴブルース」という古き良き音楽形式に執着するのだが、黒人は音楽形式がラテン風味だったりR&B・ソウル・ファンク・ディスコなどに変わっても、ブルースを歌っているつもりはあるようで、それは歌詞を聞いていればわかる。つまり黒人はブルースから転向したつもりはなかったと思える。
コンテンツというのはすべて、それを作り出した当事者の思惑を超えて、勝手に分類されたり評価されたりしがちなものである。
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