投稿日: Oct 27, 2011 2:49:16 AM
大きなビジョンを持とうと思う方へ
シャープのガラパゴス撤退は思った以上の波紋があるようで、大方は「やっぱりな」という感想なのだが、昨年の電子書籍元年の機運を帳消しにしてしまって、日本の出版に関する幻滅感をより強いものにしてしまったようだ。もう日本の出版の行方としての電子書籍ではなく、Amazonの上陸の方に焦点が移ってしまったように見える。これと同時期に日本の電子出版の団体としてまたひとつ出版デジタル機構(仮称)準備会が加わったというのも皮肉だ。両者の違いは、目標の立て方にあると思う。一般にアメリカのベンチャーの方が近未来的なコンセプトを先に立てて、それに自分のビジネスを合わせていくのに対して、日本は過去のしがらみを第一にしているかのようなビジネスである。
そこで日本でもデジタル時代に出版がどうなるかを想像するために、もっと大胆なブレーンストーミングが必要だと思うが、見渡してみるとそのようなテーマを取り上げているところはほとんどない。記事『読むことと書くことの循環』では、一般的に使われるようになったWebでもスマホ・タブレットでも、読むことに比重がありすぎで、書くものとしては発達していない。今後は紙に書き表す文明が減って、画面に向かって書いたり読んだりする時代になりつつあるとすると、従来の出版技術や作法とどう変わるのかを、もっと具体的に思索しなければならない。思いついたことを整理してみると、以下のようなテーマがある。
縦書きの行方
以前記事では現在で縦書きにこだわりが強いのは日本くらいで、韓国は横書き中心、中国も現代文は横中心になっていることを書いた。日本の縦書きが特殊とは言っても、それは明治以降の組版の様式のことで、それ以前は句読法もないのが縦書きの歴史である。将来も縦書きは残るだろうが、過去の印刷に縛られる必要はないと人々は考えるだろう。ePub3.0は緩い縦書きであるが、果たしてその先に進む必要があるのかどうか、議論が巻き起こることが望ましい。
読むと書くの循環
今はまだクラウドもイマイチ信頼されていなくて、記録やノートを直接ネットに置くことはあまりないし、それが必ずしも便利とはいえないが、次第にネットに参加型のサービスが増えれば、いやおうなしにそこにコンテンツが溜まる。facebookのタイムラインにはそれなりの期待があるようで、そのようなことが学校教育なら電子黒板に対応する「何か」になるはずだ。今のSNSは自分が書いたものの検索とか再加工もロクにできないので、課題は多い。
標準日本語
テキストの読み上げはできるが、その先は例えば気象データの変化を言葉に置き換えるようなことが考えられる。株価の推移も同様だ。アナウンサーを省くというかロボットがしゃべるとか書くための日本語規格があるとよい。デクテーションも単に文字列にするのではなく、ある程度整理された状態に自然言語処理でもっていってもらいたい。要約文を生成するためにも標準日本語規格が必要である。
今日では企業内のR&Dがすっかり減ってしまったので、かえってオープンな場でディスカッションをしやすくなったのではないかと思うが、ある程度参加する人はいるだろうか?