投稿日: Aug 20, 2014 1:17:33 AM
よく書店での購買者の挙動をみると、平積みにしてある本の上から2番目とか3番目を引き抜いてレジに持っていく人が居る。誰かが触って汚れているなど、人の手垢を気にするのか、完全は商品を期待するのか、どういう神経かわからないが、日本人には多そうだ。出版社でも流通から戻ってきた書籍を再出荷する際には小口にヤスリがけをしていた。紙の断面の白さを出すためである。
Amazonなどがネットで古本を扱うようになった際にも、カスタマーレビューでオビに破れ目があったとかDisっていた人もいた。書店ではせっかく表紙がデザインされて装丁に金がかかっているような本でも、購入時にカバーをつけてしまうのも日本の風習である。
このように、書籍の文字情報とは異なるところに何らかの価値観を置いているのが紙の書籍である。だから出版がコンテンツビジネスとして電子書籍と同列に語られる一方では、やはり紙の出版物はモノとしての諸属性が切り離せない一面をもっている。愛読家、本好き、などの世界にはそういう傾向は強いのかもしれない。
しかし今日の若者がBookOffにたむろしているように、日本人の多数はこういった本のモノ性にこだわりはそれほど持たない方向になるだろう。BookOffの仕入れを見ても、持ち込まれた本が書店から買われたものか、古本屋から買われたものかの区別はしていないようだから、安く流通できればよいという世界は広がっている。
電子書籍でも音楽のダウンロードでも、デジタルのコンテンツとなるとすべてがオリジナルの完全なコピーであり、Second Hand は見分けられないものとなる。それは既存の出版界やレコード会社が神経を尖らせているところであり、補償金云々の話がいつもでてくる。デジタルを安く売らせないようにいつも圧力がかかる。しかし電子書籍にはモノ性がないのに紙と同等の根付けをするのは不公平という意見もある。
前述のようにBookOffのような中古市場では紙の本でもモノ性が希薄になってきているので、その先にさらに利便性を最優先にデジタルコンテンツが多く流通するようになっても、紙の本のモノ性にこだわる一部の人は相変わらずであろうと想像できる。
人は引越しをする際にモノの処分を迫られるわけだが、処分できない本というのは当然ながらそれなりにあって、結局紙の本の市場はそういうところに絞られていくのではないか。大事に扱われる本を子供たちが見ていれば、そのうち幾らかは子孫が引くついでくれるというのが本の文化になるだろう。日本では戦後に文体や漢字が変わったので戦前の本が家庭内で継承されることは稀だったのだが、もはやそういう世代ギャップはないので、何世代にわたる取り扱いを考慮した本つくりというのがあってもいいように思う。
絵本の世界は、子供の頃の印象が深いものを、母親がまた自分の子供に読み聞かせるようなことをしているのも、その例である。ただ家にはそういったものを20-30年にわたって保管する場所がないので古本屋が倉庫代わりになっていると思える。そういう新本・古本すべての扱いを貫いた本の企画が本当の出版文化ではないのか。
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