投稿日: Feb 22, 2011 9:17:25 PM
グローバル化に疑問がある方へ
紙や電波を使ったアナログのメディアは自ずと流通範囲が決まってしまい、地域ごとに区切られたメディアになった。音楽ではElvisPreslyやBeatlesのように世界的なヒットが起こったが、確かに曲は同じものが流通しているにしても、パッケージはそれぞれの母国語で印刷されて、ビジネスとしては区切られている。学生時代に輸入盤の通販をしていたことがあるが、いくら輸入盤が安くとも、日本語表現された高いLPの方が良く売れた。しかしデジタルのネットワークになると、世界中にリーチできるとともにホームページなどの言語を利用者が選択できるようにすれば、ビジネスを共通化できる。これでメディアビジネスはみんなグローバル化してしまうのだろうか?
以上は売り手の都合から考えた場合あって、音楽なら音楽家や聴衆という音楽をシェアする当事者の側からメディアを考える必要がある。これはレコードというメディアの発生以前の音楽事情を振り返ってみることでもある。アメリカの大衆音楽は最初から片面がダンスというのが多かった。これは高校でも地元のclubでもダンスのために音楽がされているので、音楽家の役割としてダンスバンドがあったからだ。高校の体育館でgogo大会をしたときのバンドがその後プロになろうとしたような話は多くある。要するにプロでなくてもエンタテイメントとしての大衆音楽はあり、それは日本の民謡でも世界の民族音楽でも同じである。こういった基盤はなくなってはいないし、近年では習い事という形で都市部でも存在している。
アナログの音楽メディアがどのように音楽のシェアに関連してきたかを見ると、電蓄とかステレオなど最初は家庭の居間に据えられて家族で音楽をシェアするものがあり、地域ではラジオ局やjukeboxなどが音楽をセレクトしてシェアできるようにしていた。しかしWalkmanで音楽はパーソナル化して、その延長にiPodなども出てきて、ネットで個人相手に音楽を販売するようになって、というように音楽のシェアというのは一旦消えてしまった。
日本ではあまりないが、ラジオ局をモデルにしたインターネットラジオというのはPlaylistを公開していて、過去の番組も聴ける。こういったサイトはSNSとつながっていく可能性をもっていて、関心分野ごとにいろいろな発展をする可能性がある。つまり音楽シェアの境界は、グローバルに境界のないデジタル・ネットで一旦リセットされてしまったが、また新たなシェアが出てくると思われる。今はMySpaceやCDBabyというポータルに集約されている音楽系情報も新たな括り方がされるだろう。これは待っていてできるものではなく、特定の関心をもとにソーシャルを企てるオーガナイザが必要である。
記事『20世紀の幻想 メディアの産業化』『音楽と書籍のビジネスが似てきた』ではメディア産業の自立が難しくなっていることを書いたが、人々の利害や関心をベースにソーシャルを取りまとめるところがメディアビジネスの中心になっていくだろう。
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