投稿日: Feb 13, 2014 12:26:46 AM
雑誌の没個性化
昔、雑誌が華やかだった時代にマガジンハウスが銀座に世界の雑誌を集めたショールームのようなものを作って公開していて時々通ったことがある。もともと紀伊国屋などで洋雑誌を立ち読みするのが好きではあったが、マガジンハウスの雑誌図書館のようなものは、ちゃんと系統的に集められていて、大変参考になった。
そして何年かして気づいたことは、世界の都市のガイド雑誌などが殆ど似たものになっていったことだった。日本の「ぴあ」などは結構独自色が強かったが、そもそも国ごと都市ごとにみんなかなり異なった様相であったのが、次第にどこの都市なのか区別がつかないデザインに収れんしていった。
またアメリカの各年には高級ホテルに泊まると部屋に置いてあるシティマガジンというのがあって、NewYorkerなどが有名だが、日本でいえば航空機の機内誌のような上品なつくりで、そのスタイルもアメリカには共通性があった。シティマガジンの面白いところは、見栄えは上品でもローカルな人が担っていて、ローカルにしか通じないようなことも書かれている点だ。いわゆるマスコミの常識が通じない部分があって、ジョーク記事がジョークとは断らずに書かれていることもある。このようなソースから引用してしまうととんでもないことになるなあと思ったこともある。(ローカルラジオもマスコミとは違って「イラクに原爆を落とせ」などトンデモないことを言っていることがあった。)
マガジンハウスだけでなく、世界の出版社はそれぞれお互いに影響し合いながら、次第に同じ「カッコよさ」をシェアするようになったように見える。つまり雑誌はインターナショナル化していって、そのことが先進国における共通のライフスタイルを作り出していったのだろう。雑誌を支える広告にしても、世界のブランド品の広告を載せるにふさわしい雑誌が各国に存在するようになっていた。雑誌がインタナショナル化したからなのか、ライフスタイルがインタナショナル化したからなのか、鶏と卵のように思えるが、1990年頃から今に至るまでの雑誌は地域性よりは共通性の方に比重があったように思う。
日本にも各地の文化を伝える独自の雑誌は昔からあったのだが、タウン誌のブームの際には広告とりに負けて消えてしまった地方文化誌があった。その後タウン誌も下火になり、今はフリーペーパーが残ってはいるが、雑誌スタイルはあまりなくなってしまった。
一見すると今はスマホ画面を滝のように流れる情報がすべてのように思われているかもしれないが、雑誌のように立ち止まって向き合う媒体が今後見直される可能性はあるだろう。しかしそれは機内誌や書店に並ぶカッコ良い体裁ではなく、もっと灰汁の強い手作りメディアに戻っているかもしれない。