投稿日: Apr 27, 2012 12:40:31 AM
スマートTVはTVと似て非なるものと思う方へ
日本のケータイ文化が短期間に発展したのは、キャリアとデバイスとコンテンツをセットにしていて、何も考えなくても買ってからスイッチオンですぐにいろいろ使える環境をうまく用意したからであろう。その裏では過去のマンガのような同じコンテンツでもデバイスの制約やキャリアの伝送能力にあわせて編集・オーサリングを分けて行なうような努力が必要であった。これはビジネスが爆発的に広がって金回りがよかった時期の、市場も未成熟でそこそこのコンテンツでもあれば売れる時代はともかく、利用者が一通りのコンテンツを経験済みになってしまった今となっては負担だけがのしかかるものとなった。
この逆がアンドロイドで、キャリアとデバイスとコンテンツは全く別の世界にあり、どちらかというとPCでWebを使っているようなアナーキーな情報環境を作り出していて、PCを使い慣れた人には違和感がなくても、何か新しい素敵なものが用意されているという魅力には乏しいかもしれない。アンドロイドは完全にケータイをアンバンドリングしたが、Appleは自分の競争分野ではないところだけ部分的にアンバンドリングした。今は絶頂のAppleのiPhoneやiPadは前述のケータイとアンドロイドの特徴と比べると、いいとこどりをしたような結果になっていて、Appleのブランド感を出しつつ、新鮮で満足感の高い環境を作ったといえる。
しかしこれらモバイルは今のアプリやeBookの利用に留まるものではなく、次のステップがあるはずである。それはコンテンツを楽しむ分野として昔からある新聞・出版、ラジオ・テレビ、音楽・ビデオ、などの大衆メディアとのガチ対決の時代が迫っている。記事『TVは今? 期待感と可能性は別もの』では、TV放送の同時性や大型画面を皆で見るというモデルを捨てるとスマートデバイスと共存する新しいモデルの可能性があるだろうと書いたが、大衆向けコンテンツの王様であるTVがどう変化するのか、自己変革して乗り切るところ、新規参入を許すところ、などがこれからの焦点である。これはどんなコンテンツを流せば勝てるのかということではなく、モバイルのようにキャリアとデバイスとコンテンツがアンバンドリングされて、新たな利用形態が出てくることにどう対応するのかが問題である。
つまり生活者の24時間を奪い合うメディアやデバイスの競争は単純なものではなく、放送されたあるいはダウンロードされたコンテンツが異なるデバイスに移し変えられて、時と場所の異なるところで楽しまれるようなことが起こるわけで、これの先行しているのが音楽のダウンロードであったし、今アメリカでは出版の2割に浸透したeBookである。そういった利用のデータ管理としてクラウドのストレージサービスなども出てきている。メディアやコンテンツのビジネスはすべて、今までの作って配信して、というのではない尺度で考えなければならないところにきている。
今はAppleのようなバーチカルな強みや魅力が目立つが、その先には既存コンテンツビジネスのアンバンドリングが起こって、それらの再構成をしてあげるサービスがいろいろ出てきて、一般の人々もコンテンツを楽しめる新たなライフスタイルが出てくることになるのだろう。