投稿日: Sep 19, 2013 12:55:34 AM
世界にとって、どんないいことがあるのか?
東京オリンピックにケチをつける気はないが、IOCという組織のやることを見ていると「一体何様?」と違和感をもつことも多い。ウチの奥さんもIOC委員に対するやっかみ発言が多い。IOCは国連とか公共的な組織ではなく、全く民間の任意の団体なので、IOCの一存で台湾や北朝鮮も選手団を送り込むことができて、ある意味では国連よりも公平といえるかもしれない。しかしIOCが何を考えているのか、IOCに対してモノを申したい、などといっても取り合ってくれないからこそ可能なことである。こういう密室体質があっても、総体としては良いことをしているはずだと人々が思う理由は、世界のセレブが委員をしているからだろう。
つまりオリンピック運営は国際的なセレブの連携によって、国際政治からは距離を置くことで発展してきたといえるが、冷戦時代にはやはりオリンピックボイコットなどもあって歪な開催にならざるを得なかったこともあった。ところが冷戦終結後はオリンピックの規模が倍増して、競技の運営はきっと大変な負担になったのであろう。それはいくら同時平行的に行われる競技が増えても、観客の増え方には限度があるからである。つまりはるばる会場に辿りついても、自分の体1つで見て回れる競技は限られてしまうから、メディア戦略が重視されたのだろう。
そういった時代からオリンピックは放映権などの収入で運営をするように変わったのではないか。これは会場にこれない多くの人にオリンピックを見せるという面と、見たい人が多く居るところから多くの収入を得るという面がある。結果的にはアメリカのゴールデンアワーに合わせて人気競技の時間が割り当てられるようになった。放映権収入とか公式スポンサーとかいろいろな商業活動がオリンピック開催にまとわりついてきて、オリンピックは拝金主義だともいわれるようになった。別の見方をすると、拝金主義といわれようとも、世界200カ国が集まるお祭りをする必要があると、委員のセレブたちが考えているということなのだろう。
善意に解釈するとオリンピックの拝金主義はイベントの規模を維持するための必要悪ということになるだろう。このイベントが世界200カ国にとって得るものが多いように考えられていれば、若干の必要悪は目をつぶることになろう。古代オリンピックはローマがキリスト教になることによって、人を争わせて見世物にすることが宗教的によくないので廃れていった。当時は殺し合いもOKみたいな時代だったからだ。現代のオリンピックも拝金主義で廃れないように、ポジショニングをもう一度明確にしなければならないのではないか。