投稿日: Feb 15, 2016 1:42:0 AM
受験シーズンの只中なので教育論というのもチラホラ見かけるが、思い切った改革をする大学は少なく、また改革を迫る人もあまりないように思う。博士論文にコピペが横行していたことが発覚したように、日本の大学は卒業時点での能力が把握できず、入学時の高校教育偏差値で大学のランキングが出来上がっているというように、大学の役割は入試偏差値という札を持ったまま就活までの待合い所にしか過ぎないという見方もある。
そこで大学によっては明確な到達目標を掲げて、地方の比較的新しい大学でも高就職率に達したところも出てきた。それはそれでいいが、何も大学の尺度は企業が卒業生を欲しがるかどうかで決められるものではない。一般には論文数とか、それらがどう引用されたかでランキングを計算する仕組みがネット上にはあるし、当然ノーベル賞をとるようなユニークな研究者を輩出しているということも尺度だろうし、優れたベンチャー企業を産んだかどうかとう尺度もあろう。
大学を取捨選択する尺度は一つの指標でなければならないことはない。むしろ偏差値のような尺度はインチキがまかり通っていて、入試は難しくして偏差値を上げ、他方で推薦入学を沢山学生をとって学費を集めるような傾向もある。だから大学側はそんな小細工をするのではなく、自校の卒業生をどのようの尺度で評価してもらいたいのか、ということを社会にアピールする必要があるだろう。これは学問や教育の多様性につながる。大学にとっては自分の土俵を持つということでもあるが、おそらく建学の精神にそれに近いことが書いてあっても、実態は伴わないことが多いのだろう。
建学の精神がどこかに行ってしまうのは、学生の父母が偏差値に騙されやすいからなのだろう。模擬テストの結果を見てもっと勉強しろとか言う前に、やはり子供の志向や適性についての評価を親ができなければならない。実際には世の中の変化を受けて大学の学部は統廃合や新設があるのだが、そのような変化に合わせて受験生の指導をするのは結構難しそうだ。職業に結びつく資格取得の学科は考えやすいが、人間何とか、国際何とか、といった学部では子供の資質や未来を結び付けてイメージするのは大変そうだ。
理工系と違ってこういう抽象的な学科こそ、自分で評価の道筋も独自に用意すべきで、どの大学や企業や機関と共同研究するかとか、どのような分野の論文をどういうところに出して評価してもらうかとか、学生の活躍すべき環境を整えてあげる必要があるし、そのこと自体が受験生が進路を考える上でのヒントになると思う。
わたしは商学部がどのようなことをするところか知らないのだが、もうEC学部があってもおかしくない時代だと思う。もしそういうことを学問領域にするなら、今までとは異なったところと共同研究をして、全く新らしいフィールドが作れるような気がする。
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