投稿日: Jul 11, 2013 12:37:40 AM
地元評価は難しいと思う方へ
地域おこしというと地方のテーマのように思いがちだが、自分が生まれ育った社会に何か後世に役立つものを残そうという考えでは、都市部にもあてはまる。地域おこし=観光収入というのは短絡的過ぎて、バブル以来の木に竹を接ぐようなプロジェクトで散財をしてきた。つまりその地域に必然性のないもの、しかもうわべだけで人気を集めようというのは、早晩化けの皮がはがれる。そして借金だけが残ってしまう。
しかし実際にはその地域の特性を見極めるということが大変難しい作業ではある。そこに生まれ育った人にとってはアタリマエの環境を再評価するにはどうしたらよいのだろうか?
私は新興住宅街で生まれ育ったので自然環境というのがピンとこなかったが、子供の成長する環境としては自然に触れて五感・六感を磨くことが重要だと感じて、石神井公園・善福寺公園・井の頭公園・武蔵関公園といった湧き水系に囲まれた地域に住むことにし、子供の遊び場&オモチャは自然にした。その頃から、この湧き水の流域には縄文土器や石器が出ることは知っていた。さすがに天然の水道のあるところは人が最初に住むところであったのだろうなということはわかる。さらに今でも水鳥がやってくる。季節の変化を感じさせるものもいろいろある。
しかし見た目にはこの地域も住宅街で公園以外は何も面白そうなものはない。子供が小さかった時に栗ひろいの出来るところを探し回ったことがあったのだが、先日そこを通りかかると「下野谷遺跡公園」という看板が立っていた。ここは台地状の平らな場所で中島飛行機製作所関連施設跡であったが、約3万年前の旧石器時代の石器製作跡から氷河期を通じて縄文全期の遺跡が積み重なっているところで、まだ試掘ながら出土品も豊富であるようだ。
近隣にも古いものが出土するところがあり、集落の遺跡規模としては日本でも有数のものとなりそうで、しかもタイムカプセルのように下に行くほど古いものが垂直に重なっているので、縄文までの日本を解明するには最大のキーポイントになりそうだと思った。時代は異なるが奈良の唐古・鍵遺跡の発掘の進み方の様子からすると、私の勘では100年がかりの調査研究が必要に思える規模の遺跡である。これを今は西東京市の教育委員会が担当しているし、近隣は練馬区の分担になるのだが、そういった役所の片手間ではとても片付かない対象である。
そこで考えたのだが、この遺跡発掘を基盤にした考古学の大学を作るくらいのことをする必要があると思う。そもそも昔は大学というのは何らかの動機があって作られたように、他所にはない知の集積と人材の輩出をする目的があったはずだ。ところが誰でも大学進学という風潮が出来てからは、バブル期のプロジェクトのような人気取りの大学が乱立した。そういった大学が今は維持困難になってM&Aされつつあるが、存在理由があやふやな大学はさっさと潰して、その土地ならではの知の集積と人材の輩出を目的とする拠点として大学を再建するのが正しいと思う。
実際に地方の国公立はユニークな研究をしているところがいっぱいあって、ノーベル賞ほどではないのだが、それに次ぐくらいの成果は出している。大学にとって入学する人の偏差値がどうこうよりも重要なのは、どんな人を輩出したかである。元々は地場産業をベースに大学での研究をしているのが多いとは思うが、まだ文化や自然に関して着手しているテーマは少ない。日本中どこでも情報ナンタラという学科を作ることよりも、地域のことを知り尽くした人材を育てることが、地域おこしの基盤につながるだろう。