投稿日: Sep 09, 2014 12:21:52 AM
ニュースアプリには興味がないのであまり偉そうなことはいえないのだが、ニュースの配信のことだけが問題ではなく、テーマを拾い出してくるジャーナリズムと、はたまたニュースを受け取った生活者側のリアクションと、これら一連の相互作用というか循環というか、情報の生態系のようなものが考えられるわけで、そういった総体がネットでどのようになるのか、ならないのかという検討が必要だと思う。
今はニュースアプリならオーディエンスが広く、時間的な制約もなく、PVが稼げるという感覚だけで取り組んでいる人もいるかもしれないが、それはニュースという世界に自分の居場所を見つけるにははなはだ不十分な姿勢だ。
ジャーナリズムについては、「マスゴミ」云々ということを言う人が多いが、当然ながらネットにはミニなニュースサイトもいろいろ専門分化してあるので、自分でそれらに信頼を置いて、マスゴミは無視すればいいだけの話であると思う。例えばスポーツ新聞にいい加減なことが書かれていてもスポーツ新聞を非難する人がいないの同じである。なぜマスコミに食って掛かるのかわからない。食って掛かって相手のマスコミが軌道修正するとでも思っているのだろうか?
ジャーナリズムの側の運営としては、自分はどのようなポリシーでやっているのかを鮮明にする必要がある。アメリカの新聞はローカル紙中心なので、たいていどこの地域にも民主党系と共和党系の2つの新聞があり、自分の支持する方を読むことになる。日本の大新聞がポリシーを鮮明にして読者をふるいにかけると、部数は100万部にもならないかもしれないので、そのようなことができずにいる。だからミニなニュースサイトの方がポリシーがはっきりする。
もっともポリシーの掲げ方はいろいろある。CNNが掲げるジャーナリズムの役割を記事『当事者と 野次馬』で触れたが、現場密着とか現場主義というのがアメリカには多く、遠くから眺めてデスクで原稿をいじっているのはジャーナリズムとはちょっと違うかもしれない。そういったメディアであってもポリシーの書きようはあるだろうと思う。
ニュースを受け取る方も、日本のネットニュースではコメント欄を作らないことが多いように、自分の考えを書きこんでお互いにシェアするというのが日本人は下手で、やじ馬ばかりが目立ってしまう。建設的とかポジティブシンキングで議論をしていく教育は受けていないからだ。それではジャーナリズムに対してフィードバックをすることができず、いつまでたっても一方的なニュースに対して「マスゴミ」云々とdisって対立しているだけになってしまう。
アメリカにおけるコメントではニュースと似た体験をした個人が、ニュースには乗らなかった側面を補足してくれるというのが大変タメになる。そのようなニュースのテーマを思考するのに助けとなる情報をシェアする人たちが育たないことには、ソーシャルなニュースサイトというのはあり得ない。
日本の現状から考えるとネット上のマスなニュースアプリは不要で、その程度ならテレビニュースでも見ていた方がよい。あるいはtwitterでもいいかもしれない。それよりもニュースをもっと深く知りたいならば、特化したミニなニュースサイトをBookMarkする方が現実的に役立つと思う。「マスゴミ」議論は不要だ。
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