投稿日: Mar 30, 2013 12:44:16 AM
自由な音楽を求める方へ
音楽というものはレコードなど商品化メディアになったものは一部分なのに、それが音楽全体の代表のように思われて、立法化されるというのは時代遅れの20世紀的認識である。それは単に音楽産業と自ら称する人のロビー活動の結果に過ぎず、人々が音楽を楽しむこととはズレていることを何度か書いてきた。その例として参加型の民衆・民俗音楽というのも例に出した。しかし現代の都市生活者にはそういう例えは分かりにくいかもしれないので、ライブとレコードの違いを考えてみる。
あるミュージシャンなりバンドの何年間かの活動でどんな傾向の音楽をやっていたのかを集計してみると下図のようになるだろう。音楽の属性を軸にとって、その度合いに応じてレパートリーの曲をマッピングすると、このような関係になるだろう。
ライブは小屋の大小とかオーディエンス、地域、持ち時間などによってレパートリーが変わるし、時代とともに変化(図の t )する要素もある。しかしこの図でいえば、真ん中あたりはオハコであって、いつでもどこでもやるような曲である。
一方レコード化するのは、プロデューサーの狙いや音楽産業のマーケティングによって、ある傾向に絞り込まれるし、あまりいつもオハコばかりするわけにはいかず、特徴を出すために新しい分野も求められる。それがピンクの範囲であり、これも時代とともに t のような方向に変化していくものである。
つまりライブの方が扱う曲の範囲が広いし、流動的である。昔伝説のブルースマンを再発見することが流行ったことがあって、かつて発売された貴重なレコードを原点にアーチストを尋ねまわって、発見すると歌を吹き込ませてLP発売するということが1960前後のフォークブルースブーム以来10年ほど続いた。(参考 文化としてみた場合のコンテンツ)
それで再発見後にわかったことは、最初に想定していたブルースはレパートリーの3分の1くらいしかなく、持ち歌の多くはスタンダードな曲や流行曲であったことだ。当然ながらLPを作る際には、その3分の1しかないブルースを中心にまとめるので、音楽産業としては「伝説のブルースマン再発見」というプロモーションをして売る。
私はこういった音楽シーンの現実を見ない音楽産業の売り方には疑問をもって、LPを買うのをやめて、オリジナルのシングルを中心に買うように変えた。それは大変面倒なことになるのだが、やはりLPを通じて知るのとは違う音楽シーンが見えてきた。
レコードを聞く側も同じで、金を出してでも買う音楽と、拾い物で聴く音楽とがあって、当然ながら思い入れの強い音楽は買うのだが、ふと気になったような音楽はネットでの拾い物で聴くだろう。これはラジオの聞き流しやエアチェックと同じ事をネットでもしているのであって、これによって音楽産業が被害を受けているというのは勘違いだと思う。
すべての音楽を1曲1ドルで売ろうと言うのは無理で、サブスクリプションとかライブ(配信)とか敷居の低い楽しみ方を提供しないと発展することはないだろう。
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