投稿日: Apr 07, 2012 12:53:47 AM
日本版TEDのようなものがあったらいいと思う方へ
1980年代末か1990年台始めにサンノゼであるコンファレンスがあり、何となくそそられるものを感じて、アメリカ訪問のついでに参加してみた。基調講演にSGMLの産みの親であるIBMのチャールズ・ゴールドファーブと、「リテタリーマシン」というハイパーリンクの本を出してザナドゥ・プロジェクトを始めたテッド・ネルソンが話をした。ゴールドファーブは文書をSGML化しておくと機械知能で使いやすくなるという話をした。テッド・ネルソンはハイパーメディアを脳のシナプスのたとえで集合知の発達が起こるような話をした。こういう技術革新の積み重ねで何が起こるだろうという話は、アメリカのコンファレンスではよく取り上げられて、関心をもっていたが、それを日本語に翻訳してもあまり売れなかっただろう。
その後何年かしてwwwというハイパーメディアが話題になって、SGMLのサブセットのようなHTMLが世に知られ、情報伝達を変えてしまった。1993-4年にモザイク(当時はwwwとは呼ばれないで、モゼイとアメリカ人は呼んでいた)が爆発的に普及しだした時に、前述のコンファレンスを思い出した。書籍「リテタリーマシン」は買ってザッと読んでいたので、wwwは何者であるのかという理解はすぐにできた。この頃はアメリカではリテラリーマシンが出版されて10年以上経っていたので、多くの人が同じような思いを持ったであろう。ザナドゥ・プロジェクトはしぼんで行ったが、ハイパーメディアの理解は受け継がれていった。
ゴールドファーブの話はさらに経ってからXMLの時代になり、インターネット上のHTMLで情報発信するだけでなく、アプリケーションのようなことが発達しだして、その方向としてセマンティック・ウェブというロードマップが出てきたときにも、このコンファレンスのことが思い出されて、素直にその方向性を受け入れることができた。セマンティック・ウェブもティム・バーナード・リーの考えたとおりに進んだわけではないが、Webサービスにはその考え方は受け継がれていて、「セマンティックな」Webはますます増えている。
この間30年程が経っていて、実際に誰が何を実現したのかをあらかじめ予測することはできなかったが、個人名や会社名を消して考えると、情報技術とか知識処理の進み方には一貫した流れがあることがわかる。ビジネスという視点では誰が次の覇者になるか、ライバル同士のどちらが勝つか、などの個人名や会社名の方に関心の中心が行ってしまい、マクロな流れの理解が失われがちだ。今ではAppleが強いが、Appleのやっていることはマクロな流れの中でどこに位置していることなのか、GoogleやAmzonはどうなのか、などの考察や議論がされていると、自分のこれからやろうとしていることもマクロな流れの中で捉えられるようになる。
かつてのTEDはそのようなイベントであった。日本でもそんな議論のできる場が欲しいと思う。