投稿日: Sep 05, 2010 11:12:6 PM
デジタルコンテンツに閉塞感を感じる方へ
音楽ダウンロードがあたりまえの世代にとっては全然気づかないあろうことに、LPジャケットの価値がある。今になってみるとジャケだけでもコレクションしたいものもある(家庭内では残っているLPも処分しろと迫られているのが実情だが)。45回転盤からLPが主流になる頃は、新たにデビューするミュージシャンにとって、LPジャケは自分のアイデンティティを表現する重要な場所になった。若い無名なミュージシャンとアーチスト同士がお互いに向き合って仕事をしたような話もある。サイケ、ポップアートなどでは音楽と美術・デザインが相互に展開していった。無名の若い写真家が撮り続けたミュージシャンの写真が採用され、その写真家もデビューするとか、デザイン誌上にもLPジャケ特集やコーナーができるなど、ジャケを発端とするTVとは別次元の新しい視覚文化がいろいろなところに波及した。
当時の世相を懐かしむ場合もLPジャケのイメージの話が出てくる。喫茶店もアイデンティティとして店内でLPをかけていて、ジャケを掲げる場所もあった。今日でもMySpaceを見ると音楽とデザインのコラボはよくあるが、いかんせんCDでは「飾る」という性格は強くない。面積が小さくなるとギャラリー効果はない。むしろパソコン画面の方が今日的にはギャラリーになっている。中高生が自分のBlogで萌え系などのイラストを発表していると、詩を書いてくれる人が出てきたり、初音ミクで曲を提供してくれるようなこともある。自然に視覚と音楽と言葉が連なっていく様はなかなか面白い。こういった分業の先には総合的なデザインがあるだろう。音、絵、記号、言葉、カンバス、空間、時間などの相互関係を設計することがある。
しかしケータイ電話にこれほどカメラがついてても、事件・事故意外に人々に衝撃を与えるような画像とか作品は、思ったほどは出てきていない。ケータイ画像はスケッチで、デジカメで再度撮り直している人もいる。1000万画素のケータイも作られたが、デジカメの置き換えにはならなかった。さらにiPod、iPhoneなどのスマートフォンが普及して、リッチコンテンツを消費する時代の割には、これらからリッチなコンテンツが排出されるようにはならないかもしれない。これはなぜだろう。デザインとしての自由度がないからか?いじりまわせないので面白くないのか? 創造的、知的ツールとして何か欠けているのか?
消費人口に比べて生産人口は数桁少ないので、市場経済を前提とした技術革新が生産側に波及するのは大変なのだが、それでも両者は関係をもって発展してきた。CGも最先端は専門装置として進みつつ、PCのビデオ(GPU)が進歩すると、それらを使って専門システムも安くできるようになった。パソコンで作った素材をプロ品質のものに仕上げる環境はできつつある。
一方、商品としてはミュージックビデオとか、デジタルフォトフレームにBGMのような関係で楽しさが増すものもあるのは、音と色、視覚と音、言葉と音、などなど感覚は関連をもつからである。デジタルでの部品つくりが浸透した今日、それらを組み合わせたデザインの総合性がこれから重要になるのではないか。evernoteのようにネットでコラボレーションできるワークショップというのがMySpaceの先にあるかもしれない。また喫茶店にLPジャケがあったように、街にあるデジタルサイネージの一部をギャラリーにしてもらえると面白いことになる。