投稿日: Nov 01, 2014 1:22:45 AM
殆ど雑誌は読むことはなくなったのだが、毎号欠かさずに本屋で立ち読みしているものに「BLUES&SOUL RECORDS」誌(以下BSR)がある(たまに買うこともある)。今のスタイルには20年ほど前からなっているが、その前身は1970年代からあって、昔は私もライターをしていた。
その頃はイギリスを筆頭に先進国各国にブルースの雑誌が出されていて、英語のものは何誌も購読し、英米の発行者やライターと文通をしていた。イギリスはレコード化されたものを研究する傾向があるのに対して、アメリカはまだ黒人がどこかでブルースをしているのを探し出して紹介するような傾向があった。これはブルースの元がアメリカ黒人であったのだから当然のことだが、アメリカ最初のブルース専門誌「Living Blues」が創刊されたのは1970年で、イギリスに10年遅れくらいだった。それほどアメリカではブルースを表面化しないような音楽事情になっていたのであった。
そのLiving Blues誌 を発刊したのがジムオニールという男で、雑誌に加えて1980年頃レコードもROOSTERというレーベルを作って出すようになった。録音機会がなかった多くの黒人ブルースマンを世界に紹介することを20年ほど続けていた。このジムオニールの自伝のような記事が今のBSRに連載されている。その内容はだいたいは当時から知っていたことではあり、懐かしいと同時に、いろんな裏話も書かれていて、今一番興味のそそられる雑誌となっている。
ジムオニールはシカゴで大学生活をしたのちにシカゴに住みついて雑誌やレコードを手掛けるが、シカゴは白人が大好きな「シカゴブルース」の聖地(?)でもあり、ヨーロッパからも見聞きしに訪れる若者が常時居た。その人達のガイド本としてもLiving Blues誌は便利であった。つまり事前にシカゴのどのあたりにある、どの店に、どういったミュージシャンが出没するのかを予習することができるのだから。
私もジムオニールに連絡をとってシカゴに出かけて行ったことがあった。かれは空港まで迎えに来てくれ、彼の家でブルースの話をした後に、夜になってblues club に行くような何日かを送ったことがある。当時欧米のレコードコレクターの家にも機会あるごとに訪問していて、同じブルース好きというだけで全く見ず知らずの関係でも手紙一本でアポがとれる時代であった。みんないい人たちで、すぐにうちとけることができたのだが、その中でもジムオニールは特別に「よい人」で、あんな親切な欧米人は他に見たことも会ったこともなかった。本当に尊敬できる人間だったし、そういう人徳が雑誌やレコードを出す上でも重要だったことは理解できる。人をまとめる力とでもいおうか…
一方でものすごく貴重なレコードをいっぱい持っているコレクターは変人が多い。そういう変人たちは変人たち同士の交流をしているが、外からはわからないもので、また多くの人とは関係もない。彼らは古い珍盤を1枚何万円~何十万円でやり取りをしている。それらは必ずしも音楽的な価値が高いわけでもなく、好事家同士でないと評価できないようなものだから、そういう世界はメディア化はしないものだなあと思う。
これは音楽メディアの難しさでもあって、あまりマニアックなものは雑誌や本にはならない。しかし娯楽性で考えると雑誌や本は不要になって、ラジオとかDJとか音メディアで事が足りるようになってしまう。これが本来の在り方かもしれない。
ジムオニールは雑誌やレコードの事業をだいぶ前に譲渡してしまっているが、その後に雑誌やレコードはさらに厳しい時代になった。今の時代なら彼はどんなメディアをすればいいと言うのだろうかと考えている。
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