投稿日: Jul 26, 2013 1:27:17 AM
持続可能への切り替えが必要だと思う方へ
シャープもサンヨーも他の家電メーカーとは一味違ったユニークな会社で根強いファンもいたのだが、そういった会社がやっていけなくなる条件とか環境が日本にはあるのかもしれない。それは大企業病とでもいうべきもので、経営陣が「成長!成長!」といっているうちに数字の一人歩きになって、逆に会社の強みが失われてしまう成長神話によりかかっていたからであろう。それが今のアベ政権で国政レベルでも成長をうたうようになっている。成長とはそんなに甘い響きなのだろうか。
テレビや全国紙新聞などのマスメディアも過去に部数を伸ばした結果として、中庸な内容しか書けなくなって、ジャーナリズムとしての自律性を失ってしまった。日本でも明治のジャーナリズムは社会運動的な意味合いで出されていたが、経営規模拡大をする中で大本営発表になっていった。会社の成長と引き換えに魂を売ったともいえる。日本の場合は個性ある小さな会社が生き残り難い何かがあると思える。
つまり日本人は「みんな…してますよ!」というとなびく性質があって、マスメディアに載る情報に人々がひっぱられることが、政治でも経済でも起こりやすかった。こういう状況はネットのメディアが普及することでマスメディアとクチコミの中間が可能になり、メディア自身の個性化と、そのメディアが取り上げるライフスタイルの個性化が今後は促進されていくものと期待したい。
おそらくこれから起こるメディアの個性化は、従来の国内メディアとは異なって、居住地に関係ないものになっていく。日本人ビジネスマンも国外で活動することが増えている。そこから世界との接点も広がっていくことが、コンテンツの面でも、制作プロセスの面でも、販売の面でも、今までのメディアと異なるだろう。
その先に「成長」よりもコミュニティ型のファンをつかむことを主眼としたビジネスも伸びるはずだ。
しかし日本人の生活の個性化はそんなにすぐには進まないだろう。先日某TOWERRECORDを覗いたら、もう日本の音楽しかなくて、ミニ・ビレッジバンガード化していてびっくりした。これはひとつの行き方ではあると思うが、洋楽は用なしになってしまった。洋楽、しかもそこには細分化されたジャンルがあって、それぞれに薀蓄があるはずなのだが、そういった情報はどこへ行ってしまったのだろう?
だからマスメディアとクチコミの中間というはマスメディアをスケールダウンしたところから始まるのではなく、むしろクチコミを拡張するようなボトムアップではないかと思う。とすると当然ながら経済的には成り立ち難いわけで、既存の出版界の人が携わるよりも、コミケのような同人誌的な活動が、あらゆる分野で起こる可能性がある。
KDPのような自主出版がカオスをもたらすと思う人もいるが、同人的な多様な芽がそこで育つようになるのかもしれない。まあ、気の長い話であるが。