投稿日: Sep 01, 2014 1:59:42 AM
ここでは文字表現の意味でリテラルという言葉を使うので、プログラミングの話をするわけではないが、比喩的に言えばデジタルメディアも似たようなことになる(後述)。文字表現メディアというのは文字中心のドキュメントとか本とか、メディアの古典であるという認識が強い。しかし最古の印刷物とされている中国の唐のものは仏教に関するもので結構グラフィックスが含まれている。
産業革命以降はペーパーバックのように「本」も大衆娯楽になったのだが、特にキリスト教国ではTheBookは聖書を指すように、本と大衆娯楽は分ける見方は根強く残っている。日本では漫画も「本」に数えられることに日本人は違和感をもっていないことと対照的である。そして電子書籍の時代になっても日本は漫画の流通量が多いが、電子書籍・電子出版はリテラルではない視覚的表現の方が今後進んでいくのではないかと思う。
印刷以前のメディアとして人間が書き写して複製していた時代は、むしろ文字オンリーの方が効率も複製品質も良かったと考えらえる。キリスト教の聖書が確定したのは西暦紀元後すぐであったが、当時のものが今日残っているわけではなく、何百年か書き写されてきたものが最古のものとして残っている。20世紀になって紀元前の旧約聖書にあたるパピルスの写本が数多く発見されて、写本が続けられていた何百年間の間に殆ど書き間違いがなかったことが分かった。つまり文字のコピーは考えられた以上に正確だったのである。
しかし図像に関しては人間の手による描き写しは文字に比べてはるかに難しく精度は低いので、唐の木版による図像の印刷は当時は画期的なものと捉えられたはずである。古代の図像のコピーはレリーフのような凹凸を作って、その凹型に何かを流し込んで複製がされており、コインに皇帝の像が表現されて流布されたようなことがあった。
今デジタルでリテラルのコピーや流布は殆ど技術的な問題がなくなった。図像に関しては静止画や動画をそのままコピーするのは同様に容易になった。しかしリテラルは編集が行いやすくて低コストで迅速に派生メディアが作れるのに対して、図像を再構成するにはまだ相当のスキルと手間がかかる。単に動画を切り刻んでつなぎ合わせるなら素人でもできるが、複数動画を合成したり速度を変えたりアングルを変えたりズームやパンを後から加工するとなると、CG映画を作るようになってしまう。
例えば子供の絵本に少し動きをつけようと思っても、まずは劇画のような絵コンテを描いて、素材となるイラストや写真を用意して…となると、新しいコンテンツを作るコストは途方もなくかかる。しかし売る際には単なる動画とみなされるので、大した値段はつけられない。だから動的表現の電子出版は立ち上がり難いのである。
そこで印刷術が図像の複製を容易にしたように、図像の動きを制御できる技術の進化が動的表現の市場を拓いていくと考えられる。その突破口はゲームであった。しかしゲーム表現はゲームという商材に留まっているように思える。またGIFアニメで1-2秒というのが多く使われるようになってきたのも同様の理由と思われる。静止画の図像に動的な効果を与えることは動画編集ソフトで容易にできるようなった。こういったテクニックを駆使したクリエイティブがトレンドのようになっていくような気がする。
スマホを商品にかざして、その後スマホ画面で何か面白いことが始まるNFC応用は、認識技術と表示技術が一体(同時)となっているために、ゲームのようなセンスのある表現が問われ、そちらに競争力の重心がかかる。NFCの普及もこういたところがカギになるように思う。
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