投稿日: May 01, 2012 1:10:2 AM
コンテンツにどう向き合うべきかと思う方へ
音楽産業は自立してあるのではなく、メディアと二人三脚で発展してきたといえる。そもそもラジオとレコードが音楽を広域に伝えて小額コンテンツながらビッグビジネスが生まれた。記事『今さらのビートルズ』では、エルビスプレスリーがハリウッド映画の世界配信とともに世界のアイドルとなり、ビートルズはTVに乗って世界同時ブームを作り出したことに触れた。アメリカで発達したジュークボックスで音楽をかけるのは5-10円単位のビジネスであることを、記事『コンテンツビジネスの多様性』に書いた。こういった小額ビジネスのためにシステムや配給網を作ったのではなく、ジュークボックスもゲームも含めた遊具業界に相乗りして成り立っている。だから音楽産業はこういったコンテンツ流通基盤の変化の上に自分の業界の変革を考えるべきであって、インターネットのような環境が由々しき問題であるかのような自分中心主義になってしまっては、これからの発展は望めない。
文化というのは誰かが恣意的に変えられるものではなく、社会活動の総和として現れるものであることを、アメリカ黒人音楽を例に、記事『文化は業者が担うものではない』で採り上げた。黒人音楽が最初はストレートな感情表現であったのが音楽的な洗練を身に着けたのは黒人の生活改善とか地位向上の結果であるが、そのきっかけはケネディ大統領の公民権法にあり、実際の生活の程度がすぐに改善されたわけではないにしても、意識の変化が音楽を変えていった。
黒人音楽の通称がR&Bという呼び名からSoulに変わっていったのがその頃で、それは黒人の自我の目覚めのようなものではあるが、公民権運動自身がキング牧師をリーダーとしていたように、ゴスペルの主題であるキリスト教の霊性の覚醒と切り離せないものであった。だからゴスペルとソウルの関係は、娯楽・芸能性の強いR&Bとゴスペルの関係以上に密接であって、教会が歌手養成所となり、ソウルミュージックの台頭とともに新しいゴスペルの台頭があった。
逆に自分たちの境遇を嘆くブルースは黒人の社会の中では隅に追いやられるようになっていったが、白人が黒人音楽に関心を持つようになって、次第にヨーロッパにもブルースが知られるようになっていった。それが1960年代後半で日本でもレコードが発売されるようになる。しかし白人に知られた黒人音楽家はほんの一部に過ぎず、前記事 にも書いたように奴隷解放後100年経っても黒人音楽の全容はわからなかった。歴史というのは為政者と事件の年表で成り立っているのではなく、民衆の生活変化というのがベースにあるわけだが、過去のその実態を捉えることは難しいので年表に頼っているのと似ている。
最近アメリカやヨーロッパのテレビ局が残された1960年代の番組をデジタル化してYouTubeで公開したり、DVD化していて、当時の黒人音楽のドキュメンタリーを見れることが多くなった。それはやはり例えるなら民俗音楽民族音楽と共通点が多く、沖縄・南西諸島の島歌のポジションに近い。逆に言えば世界の民俗音楽民族音楽もネットに流れることで再評価される日がくるのであろう。音楽ビジネスのシステムの中だけで音楽を取り扱う時代ではなくなったといえる。