投稿日: May 18, 2013 2:22:27 AM
世界の不安定要因として考える
日本でも憲法議論をしたい人が本当に増えているのかどうか不確かだが、これは日本の国内事情だけで判断できるものではなく、世界の中の日本をどう考えるかという点では、20世紀の残した宿題にどう答えるのかという重い問題を背負っている。これに即答できないという点では世界中どの国も共通で、それはいろんな矛盾を現在抱えているからである。
侵略とか帝国主義とかという言葉の定義が云々という人もいるが、他民族や他国家の干渉を認めないという民族自決が第2次大戦後の原則になっているので、言葉はどうでもよく、各民族集団が自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織、政治的運命を決定すべきという点に立って考えることになっている。しかし現実にはイギリスなら北アイルランドの独立の運動があったり、中国ならチベット、また今は顕在化していなくても例えばハワイやアラスカがアメリカから独立したいと言ったなら、ニューメキシコが言ったら、日本なら沖縄が日本から独立したいと言ったならどうするか、という少数民族の扱いの問題がある。
ソ連は崩壊して連邦を構成するそれぞれの国々になったが、その中でもさらに分裂の動きは続いていて、ロシアはまだ多くの国の連邦なので、チェチェンは独立の共和国とはいってもロシアの影響は強く、特に宗教対立的な様相で混迷を深めている。ヨーロッパでもチェコとスロバキアが別になったとか、ユーゴスラビアというスラブの共同体が崩れて、元あったような8つの小さな国々になってしまったとか、数十万人の国まで出来てしまった。これは世田谷区や練馬区よりも小さい。
このように民族自決だけを掲げて突き進むと経済的な成立が難しいだろうから、一方でEUのような経済共同体というのも作られていく。中国も、ロシア連邦も、アメリカも、インドも、多民族を抱えた国々は、少数民族の文化的な面は尊重しながら経済メリットをダシに今の体制を維持することに努力するのだろう。しかし実際には民衆の間の異民族への差別とかヘイト、民族対立的な要素はなくなりはしないし、ネットによる閉鎖的なコミュニケーションはそれらを誇張するかもしれないことを記事『メディアは誰の味方でもない』では書いた。
そもそも民族とは何かというのがはっきりしないで、それぞれの集団の文化や価値観が異なることからくる齟齬を一つの基準で合意にもちこもうとすることが矛盾に満ちている。民族概念は曖昧な帰属意識でしかないし、それは実は政治とも微妙に違うもので、非常に取り扱いに注意を要するものだと思う。しかしその悩ましさを十二分に理解していないと、民族問題に関して発言できないものでもある。