投稿日: Apr 13, 2011 11:10:23 PM
被災地のボランティアを考えている方へ
被災地の未来を担う子供たちの学校教育に、授業としてインフラの復興や産業の再建の現場に立ち合わせてレポートをさせると、彼らは自然に地域の将来像や自分たちの社会的役割を身 につけることができるだろうことを、記事『何も無くなった大地に立って思うこと』に書いた。それらの経験を基に彼らは地元の社会や産業を興すだけでなく、第2次大戦後の人たちのようにいろいろな分野で日本のリーダーシップをとる人が出てくる可能性がある。災い転じて福となす、というようになってもらいたい。
子供のできることには限りがあって、学徒動員のように復興や仕事の補助をすることもあろうが、小学校で社会見学をして壁新聞を作るような作業は子供らしさも出て面白いかと思う。今避難所に壁新聞があったりするが、子供たちが分担して地域の人の集まるところに週間壁新聞を貼りだし、そのための取材や調査、編集などの共同作業を授業として認めるのがよいのではないか。これを壁新聞に表現して掲示することと、それを見てくれる人のレスポンスを取材するという循環をしていると、バラバラになった住民の心をつなぐミニコミになる。また少し地域を広げて再編集そしてWebで地域外にも情報発信するとか、中高生は地元メディアと提携してメディア活動の一翼を担うところまで教育の現場でやってみてはどうだろうか。
こういったことは平時にも学校活動で行ったりはするが、それを継続的にすることにはまた別の意味が生じる。被災者は辛いことが多いであろうし、復興もまだまだいろんな問題にぶつかりながら続けていかなければならないものなので、励ましも癒しも途絶えずに行って応援をしていく必要がある。今でもTVで涙の物語などが放送されているが、東京からの番組作りは感覚的に現地の人の感情とは合っていないのではないかと思わされることが時々ある。被災地のことを一番よく分かっている当事者でもある子供たちである。松本サリン事件の時に地元の高校の放送部が作ったドキュメンタリーが、商業TV局のサリン事件の番組よりも優れたものであったことを思い出した。
当事者達が入ってメディア作りをする環境は整いつつあることを、記事『当事者に語らしむべし』に書いたが、Webでも新聞でも雑誌でも継続的に情報を出し続けることで、その情報を見る側にも折れそうになる意識を支えることができる。エンタメのメディアやベストセラーを夢見る一攫千金のメディアへの取り組みもあってもいいが、メディアの基本は一つのテーマを問い続けたり、花に水をやって育むような地道な活動であるし、その力が最も必要とされているのが被災地であるともいえる。こういったメディア作りの支援というボランティアも有り得るだろう。