投稿日: Jul 16, 2014 12:36:15 AM
音楽家はレコードが発明されるよりもずっと以前から存在したのだが、小説家は産業革命後の印刷製本の大量生産が確立してからの「職業」であって、印刷製本とは断ち切れぬ縁がある。このことは同じコンテンツを生み出す立場であっても、音楽家と小説家が今後進む方向が異なることを暗示する。
安価な文芸本が娯楽として大衆に受け入れられたのは、単に印刷製本ができたからではなく、国民教育によって民衆の読み書き能力が向上したからである。それで書き手も増えて出版業界は急速に伸びたのだが、印刷製本能力という点では供給が飽和をしてしまったので、書籍流通は飽和に近づいていく。それがここ20年ほどの出版沈滞の根本的な理由である。
小説家が登場する前にもシェークスピアとか近松門左衛門のような作家は存在していたが、基本的には戯曲であって、本の大量生産ではなく、上演なので音楽家に近い存在である。今日でいえば放送作家のような存在とでもいいましょうか、そういう意味では今の小説家も本を出さないでも何らかの食い扶持があるといえるかもしれない。
書籍に負けず劣らず、CDなどレコード類も売れないようになっているのは、やはり生産能力の飽和からくる、過剰な発行点数になったからだろう。しかし音楽産業はパッケージ売りだけではなく、ライセンス収入とか、演奏家は実演(ライブ・コンサート)などの収入があって、ネットで盛り上がれば、それはそれで食い扶持がついてくるようになっている。現にネットでプロモーションしてライブやコンサートで増収したアーチストはいくらでもいる。
要するにライブに重点が移っていくというのは音楽家の本来の姿なので、パッケージはニッチ市場向けに出すという方向に行くのだろう。
しかし小説家にはライブはないので別の道を考えなければならない。ライセンスという点では原作権というのが重要で、それがアニメ・絵本・舞台・ドラマなど、いろんな表現形態をとって世の中に出ていくのがいいのだろうが、そういう指向の小説家は従来はあまりいないので、今後の動向を見るしかない。
おそらく電子書籍化では小説の売り上げの平均値は紙の出版よりも相当下がるだろう。紙の本は蔵書化する価値(身近にある存在感とか、世帯財)というのがあったのが希薄になるからである。既存の小説家はなるべく書籍からの収入を減らしたくないわけだから、電子書籍に期待をかけないのはある意味納得できる話でもある。もし自分の才能を多方面に開花させる気があったなら、電子書籍以前にもいろんなメディアを対象に仕事をしているはずであると思う。出版権など大した話ではない。クリエーターは原作の権利をもっと考えた方がいいと思う。
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